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秘伝!武術の平安
「武術空手研究帳」での約束どおり、遂に、近代空手の代表型である「平安(ピンアン)」の秘密を公開・伝授することになった。
さて、まず最初に述べておきたいことは、読者の皆さんが日々練習している現代空手においては、「組手」こそが戦い方の練習なのであり、「型」は実質上「(武張った)踊り」にすぎない点である。
よって、読者の中には、「組手」が無ければ戦い方の練習は出来ず、「型」などをいくら練習しても戦う練習には一切ならない、と考えている方もいらっしゃるかと思う。
しかし、こうした現代空手的な先入観は、この際、しっかりと払拭した上で、近代空手に接してもらいたいと思う。
近代空手は(古伝空手と同様に)、「型による空手」だったのであり、今回公開する「武術の平安」も、決して「(武張った)踊り」などではなく、「真の分解(勝負形)」や「砕き」を内包する、真っ当な「武術空手」の体系を有しているからだ。
現代空手の「組手」にしても、それは、現代空手家にとっては唯一の戦い方の練習法ではあるが、「武術空手」の観点から見れば、やはりスポーツ的な競技法なのであり、「武術空手の戦い方」とは根本的に違うのである。詳しいことはテキストに譲るが、武術空手には武術空手の戦い方があるのだ。
*「現代空手」と「武術空手(即ち、近代空手と古伝空手)」では「戦闘方式(戦い方)」が全く異なる。この点については、新たに追加した武術空手研究帳・増補(1)「異なる二つの戦闘方式」を参照願いたい。
次に注意してもらいたいのは、今回伝授する「武術の平安」は、糸洲安恒が古伝空手を踏まえて創ったオリジナルの本物の「平安」を忠実に再現している、ということだ。
この本物の「平安」は、今から100年近くの昔に完全に失伝させられてしまった「幻の空手」なのであり、現在その真伝を受け継ぐ人などは何処にも存在しない。
私は古伝空手を解明することに成功したが故に、この本物の「平安」の再現を成しえたのである。
よって、今回の「武術の平安」の公開こそは、空手史上初めての、本物の「平安」の公開になるわけだ。
ところで、今までにも(そして今現在も)、数多くの「平安」に関する解説が発表されて来たわけだが、残念ながら、基本的に全て間違っているのである。
少し具体例を挙げると、今までに発表されてきた平安の分解の中には、「柔道類似の技(ex.背負い投げや肩車のような技)」が出てきたり、「敵の衣服を掴む」行為や、さらには「敵の髪の毛を掴む」などの行為も平気で登場してくるのだが、それらは全て、本物の「平安」の「真の分解」には決して登場してはならない技や行為なのだ。(理由については「武術の平安」のテキストを参照してもらいたい。)
具体例は他にもあるが、以下では、「常識」のように思われていることの、どこがどのように間違っているのか、今回伝授する「武術の平安」が、今までに発表されてきた平安の解説とは根本的に異なることを知ってもらうためにも、上達の段階ごとに分けて、詳しく解説しておこう。
では、
A)初伝で習う「練武型」
B)中伝で習得する「真の分解(勝負形)」
C)奥伝で稽古する「砕き」
の三つに分けて、それぞれ論じてみようと思う。
A) まず「練武型」について。
今までに他の人達によって発表されてきた「平安」に関する解説では、全て変形・変質してしまった「平安」の「表演型(発表会で演じるための型)」が紹介されて来たのであり、本物の正しい「武術の平安」の「練武型(武を練るための型)」が紹介されていたわけではないのである。
最初に「変形」の点から言うと、現在、色々な流派に残っている「平安」の型は、全て変形してしまっているのだが、上記の解説者達は、皆、「自分が習った平安」を基本的にそのまま採用して解説してしまうのだ。
これでは、マトモな「分解」などに到達出来るわけがないのだが、一向にそうした「変形」には無頓着なのである。
具体例を挙げると、例えば、平安初段や三段には「右縦四本貫手」が登場するが、この動作の終了時、左手甲は右肘の下に付けるのが正しい「武術の平安」の「練武型」の動作なのであるが、それを、左拳を引き手に取ってしまうのである。
これでは、「真の分解」には絶対に到達出来ないのだが、「自分が習った平安」が左拳を引き手に取る動作になっているので、それをそのまま紹介しているだけなのである。
これに対し、今回伝授する「武術の平安」では、もちろん、こうした「変形」を全て正した、糸洲安恒が創った本物の「武術の平安」の「練武型」が指導される。
次に「練武型」の「変質」についてだが、現在諸流派で伝承されている「平安」は、動作の点から言っても、基本的に全て「体育の平安」の系譜に属する型ばかりなのである。
そもそも、糸洲安恒が創ったオリジナルの「武術の平安」というのは、軍隊を強く意識して創作された武術空手なのであり、それこそが真の「空手の近代化」だったのだが、糸洲は、この「武術の平安」から「練武型」のみを取り出し、それを子供達の体に合うように変形・変質させて「体育の平安」を創ったのである。
(そして、現在では、この「体育の平安」の創作こそが「空手の近代化」なのだ、と思われてしまっているのだ!)
では、「体育の平安」では、「武術の平安」と比較して、一体どこが「変質」してしまっているのだろうか?
細かい点を別にして、最も大きな「変質」項目を指摘するならば、「運足」が大いに異なるのである。
つまり、現在普通に見られる「平安」では、「子供用の運足」即ち「体育的静歩行」が採用されているのだが、本来の「武術の平安」というのは、ダイナミックで素早い「動歩行」の空手だったのだ。
「武術空手研究帳」でも記したとおり、オリジナルの「平安」即ち「武術の平安」というのは、「倒木法(倒地法)」を原理とする空手だったわけで、そうであるならば、「運足」にしても、当然に「動歩行」でなければならなかったわけである。
だから、例えば、平安二段(松涛館流では平安初段)の第3挙動に、(上から見て)時計回りに180度転身して右下段払いを行う動作があるが、現代空手では、この動作も「子供用の運足」即ち「体育的静歩行」で行っているために、本質的に二挙動的で、しかも、どこかぎこちないような動作になってしまっているが、本来の「武術の平安」では、素早い「動歩行」を使って、ほとんど一挙動に近い動作として、アッと言う間に一瞬で終了してしまうのである。
しかし、こうした「動歩行」の「武術の平安」を行うためには、糸洲安恒が考案・開発した、ある「重要な技術」を知っている必要があるのだが、その「重要な技術」というのは、現在では完全に失伝してしまっており、誰もこの技術を知らないのである。
私は、古伝空手を踏まえて論理的に考察することで、この「重要な技術」の再現に成功した。だから、オリジナルの「武術の平安」の「練武型」が、しっかりと復元出来たのである。
この「重要な技術」については、「武術の平安」のテキストの中の「コラム-1: 型の開始の仕方」のところで、明快に解説してある。
(なお、ついでに言っておけば、現在一般的に行われている「平安」では、型の開始の「用意」の姿勢は、「自然体(八字立ち)」が採用されているが、これこそが「体育の平安」の用意の姿勢そのものなのである。
古伝空手の時代では、型の開始の用意の姿勢で「自然体(八字立ち)」を採用することなどは決して無かったのであり、同様に、古伝空手を踏まえて創られた「武術の平安」でも、「自然体(八字立ち)」で型を開始することなどはしていなかったのだ。
この「自然体(八字立ち)」の姿勢というのは、糸洲が、子供達の体のことを考えて、「体育の平安」で空手史上初めて採用した用意の時の立ち方なのである。だから、「自然体(八字立ち)」は、別名「ピンアン立ち」とも呼ばれているのだ。
これ以上の詳細はテキストに譲るが、結局、「平安」開始の「用意」の姿勢一つ見ただけで、その人が習った「平安」が「体育の平安」なのか「武術の平安」なのか、即座に分かってしまうわけだ。)
B) では、次は「真の分解(勝負形)」に移ろう。
今までに他の人々によって紹介されてきた「平安」の「分解」というのは、間違ったものばかりであったといって良い。
例えば、「平安に登場する正拳突きは全て中段突きだが、これは、敵の顔面を攻撃する技は、子供用の型としてはふさわしくないからであり、だから、全て胴体を攻撃するようになっているのだ」というような意見を目にしたことがあるが、この意見は間違っている。
何故なら、「武術の平安」の「真の分解(勝負形)」に登場する手による打突技は、全て敵の頭部を攻撃するように創られているからだ。
アドレナリンが噴出している闘争の最中に、敵の胴体を殴ってもほとんど効かないわけで、軍隊を強く意識して創られた武術空手である「武術の平安」では、敵に対する攻撃は、基本的に上段を攻撃するように創られているのだ。
このように、「平安」の「分解」に関して今までに語られて来たことは、間違いだらけなのだが、さて、どういう点に問題があったのか、今度は項目を分けて、少し詳しく見てみよう。
1) まず、「型の変形を正していない」点が指摘出来る。
型自体を、糸洲安恒が創ったオリジナルの「武術の平安」の練武型に直しておかなければ、絶対に正しい分解には到達出来ないのだが、今までに「平安」の解説を行った人達は、全員が、「自分が習った平安」から分解を考えるだけなのである。
これでは、「自分が習った平安」こそが正しい平安なのだ、と決めてかかっているようなものであり、そうした態度では、真実に到達することなどは、およそ不可能と知るべきである。
特に、現代空手の流派の中には、型の変形が激しい流派もあるのであり、そうした流派の型というのは、流祖が勝手に分解を考えては、その分解に合うように、型をどんどん変形させてしまったのだ。
だから、そうした流派の平安型を元にいくら分解を考えても、その流祖が考えた分解しか出てこないのであり、間違っても糸洲安恒が創った正しい分解、即ち、「真の分解」には辿り着けないのである。
しかし、そうした変形の激しい型を使っての平安解説というのも、現実に発表されてしまっているのだ。
2) 次は、「型の一部から色々な分解を生み出す」という間違った発想についてである。
つまり、今では通説となってしまっている、「基本分解」「応用分解」のような発想についてだ。
しかし、結論から言えば、型には、「真の分解」と称すべき、正しい分解が唯一つあるのみなのである。
このことは、「武術空手研究帳」でも十分に解説したことなのだが、今もって理解出来ない人達がいるようだ。
そこで、次のことを考えてみてもらいたい。
読者自身が、自分で型を創る場合を想定してもらいたいのだ。
どうやって創るであろうか?
常識で考えてもらえば十分に分かることなのだが、型を創ろうと思えば、まずは「分解」を最初に考え出すわけである。
何しろ、武術とは、平たく言えば「制敵技術」なのだから、まずもって「敵をどのように制圧するのか」という観点から、具体的な技術を決定しなければならないからである。
そして、それが完成したら、今度はその「分解」の中の我の動作を取り出して、それを様式化することで「練武型」にするわけだ。
簡単に言えば、これが型の創り方なのである。
従って、ある「型の一部」からは「一つの分解」しか生まれないのであり、それこそが、型の創作者が伝えたかった「真の分解」なのだ。
3) 今度は、「型を恣意的に切り取ってしまう」点についてである。
今までに平安(や古伝系の型)の分解を発表してきた人達に共通するのは、型の中の何挙動かを、自分で勝手に切り取って来て、「ここの分解は」などと解説を始める点である。
「真の分解」の中には、業技(ぎょうぎ: 技の集合体のこと)の「区切り」というのがあるが、例えば、敵を投げ飛ばしたところなどは、通常は、いったん「区切り」となって、また新しい業技が始まるわけである。
しかし、「型を恣意的に切り取ってしまう」ということは、つまり、型の分解の中に登場してくる「区切り」というものを、自分で勝手に決めてしまっているのだ。
本来、正しい「区切り」の場所というのは、型の最初から、一つも挙動を省かずに、順番に分解を解明していく中で、初めてその場所が分かるものなのだが、そうした「区切り」の場所を、自分で勝手に決めてしまうわけだ。これでは正しい分解など、絶対に分かるわけが無いのである。
さらに言うと、こうした方法で分解を行うと、どうしても「カモフラージュ的分解」に引っ掛かってしまうのだ。
型の創作者は、「真の分解」から「練武型」を創る際には、容易に「真の分解」が発見されないようにするために、あえて間違った方向に解釈してしまうような、いかにも「それらしい動作」に翻訳するものなのである。
いくつか具体例を挙げてみよう。
例えば、平安三段の縦四本貫手から回転鉄槌までのところだが、ここの部分などは、いかにも「敵に手首を掴まれた場合の手解き法」のように見えてくるわけで、実際、この部分を勝手に切り取って来てそのように分解解説するのが、一種の定番なのである。
しかし、残念ながら、ここは「手解き法」などではないのであって、そもそもから言えば、この部分を勝手に切り取ってしまうこと自体が間違いなのである。
次の例としては、平安三段の最後の二挙動が挙げられる。ここも定番的な分解のところで、「後ろから敵に抱き付かれた場合の対処法」というのが、一般的に解説される分解なのだ。
しかし、残念ながら、この場面では敵はそんな所にいないのであって、ここもまた、この二挙動だけを勝手に切り取ってしまったこと自体が、そもそもの間違いなのである。
最後に、平安五段の「上段手刀十字受け」と称されているところの分解を取り上げてみよう。
ここの定番的解釈は、我が自然体で立っているところへ、敵が右上段追い突きを放ってくるので、我は右足を一歩後退させながら、この「上段手刀十字受け」という技で敵の突きを受ける、という分解である。
しかし、これも残念ながら、「カモフラージュ的分解」なのだ。
大体、型では、我の右足は最初から下がった状態なのであり、その点でも分解としておかしいのだが、それにも増して、そもそもこのような技が実戦で使えると考えていること自体、武術的センスが悪いと言わざるを得ない。
この定番的分解も、また、この挙動を勝手に切り取って来たことが、そもそもの間違いの元なのである。
(この分解に関しては、さらに「型の変形」の問題も加わっているのだ。というのは、糸洲安恒が創ったオリジナルの「武術の平安」の「練武型」のこの動作では、我の両手刀は、我の顔の高さに上げるのだが、それがこの「上段手刀十字受け」というカモフラージュ的名称のせいで、動作が大きく変形してしまったのである。)
4) 最後に、「僅か数挙動程度の分解が標準的」という点についてである。
今までに発表されて来た分解を見ると、とにかく動作数が「数挙動」程度の分解がほとんどなのである。
これは、例えば10挙動もの分解などは到底考え付かない、という現実的な理由もあるだろうが、他方では、現代空手の戦い方も影響しているのだ。
つまり、現代空手の自由組手・組手試合というのは、基本的に「単発的な攻防」を一単位とするような戦い方であるため、型の分解を考え出す際にも、どうしても、そのような数挙動程度で構成されている技を考え出してしまうのである。
しかし、「武術の平安」の「真の分解」に登場して来る各種の業技というのは、もっと長いのだ。
ここで、私の手元にある、ある「平安」の分解の本を見てみると、平安初段・三段・四段・五段の四つの「用の型」に登場する業技の数は、全部で四十以上もある。
これは、同じ「型の一部」から複数の分解を見つけ出していることも、数が多くなる理由の一つなのだが、同時に、僅か数挙動をもって一つの分解を考え出しているから、かくも数が多くなるのだ。
これに対し、今回伝授する「武術の平安」で、四つの「用の型」に登場する業技の数は、というと、全部でたったの「九つ」なのである。
しかも、その内の一つは、例外的に数挙動で構成されている短い業技であるため、便宜上これを計算から除外するならば、四つの型で「八つ」の業技となるのであり、従って、平均すれば(あくまで平均だが)、一つの型に「二つ」の業技となるわけで、結局、一つの業技というのは、平均で十数挙動くらいになるのである。
これが「武術の平安」の「真の分解」なのだ!
C) では、最後に「砕き」についてである。
(古伝空手の時代には、これは「変手」と呼ばれていた稽古法なのだが、私は、ある理由から、古伝剣術の用語である「砕き」という言葉を使用している。このことに関する詳細は、テキストを参照してもらいたい。)
さて、この「砕き」だが、これこそが武術空手の核心的な稽古法なのであるが、残念ながら、空手界において今まで誰もこの稽古法の存在にすら気付くことが無かったのである。
それはそうであろう。
変形した型から間違った分解をいくら見つけ出して来ても、この「砕き」という稽古法には辿り着けないのだから、当然と言えば当然の結果なのだ。
しかし、この「砕き」こそが、武術空手の完成にとって必要欠くべからざる稽古法なのであるから、これを理解せずしては、「型を使ってどのように修行・上達していくのか」という「空手百年の謎」は決して解けないのである。
今回伝授する「武術の平安」では、もちろん、この謎を具体的かつ詳細に解いてある。
これを公開することもまた、空手史上初めてのことなのだ。
“秘伝! 武術の平安” - 伝授のご案内
では、ここからは、「武術の平安」の伝授方法等に関して、詳しく説明します。
- * 伝授を受ける人(受講者)の条件:
- “18歳以上の個人”に限らせていただきます。(組織・団体・法人名義等によるお申込みはご遠慮願います。)
- また、お申込みは、必ず受講者本人名義で願います。(他人名義でのお申込みはご遠慮願います。)
- * 伝授の仕方:
- 伝授内容が膨大なため、「武術の平安」を詳細に解説したテキストをお渡しする形で伝授します。
- また、「武術の平安」のテキストは、通常の書籍となります(電子書籍ではありません)。
「武術の平安」テキスト(表紙)

( * 伝授を受けた方々の感想です ) |
* この「武術の平安」では、糸洲安恒が創ったオリジナルの平安に関して必要な全ての情報が伝授されます。
◆ 平安二段、初段、三段、四段、五段 - 五つの「練武型」の解説
◆ 平安初段、三段、四段、五段 - 四つの「真の分解(勝負形)」の解説
◆「砕き」について
以上の基本的な技術解説に加えて、さらに、次の内容も伝授されます。
◆「練武型」の各挙動や、「真の分解(勝負形)」の各技ごとの、詳細な注釈・解説
◆ 糸洲安恒が残した口伝や、現代空手に残る口伝についての、詳細な解説
◆ 数多くのコラム(古伝空手も含めての、詳細な解説がなされている)
◆ 上達過程の解説
◆ 各種鍛錬法の解説
◆ 高度な「秘技」の解説
◆ 等々
となっています。
なお、「武術の平安」のテキストは、読者が「現代空手の基礎知識」は持っているとの前提で執筆されています。(「現代空手の基礎知識」とは、例えば、正拳・手刀等の部位、前屈立ち等の立ち方、正拳突きや前蹴り等の基本技、などの知識のことです。)
* この「武術の平安」は、例えば、次のような方にお勧めです。
◆ 現代空手の有段者:
現代空手家も黒帯ともなれば、現代空手が生まれる母体となった近代空手について、たとえ知識だけでも良いから一通りは知っておくべきでしょう。
◆ 現代空手に悩んでいる方:
現代空手に真剣に取り組んでいると、次々と疑問や悩みが生じてきます。例えば、
◎基本の「受け技」が自由組手や組手試合では使えない・・・
◎「その場突き」のときに「引き手を強く取れ」と教わるが、本当に突きの威力が増すのか?
◎半身で構える相手に対して(最も基本の蹴り技とされる)中段前蹴りをしたくても、ほとんど蹴る場所が見つからない・・・
◎蹴ったら直ぐに足を引いてくる「スナップ蹴り」は威力があるのか?
等々と沢山あります。
「武術の平安」を受講すれば、技術解説や口伝解説等を通じて、こうした疑問や悩みも氷解することでしょう。
◆ 武術空手に興味がある方:
「武術の平安」を中核とする近代空手は、「拳聖」とまで称された糸洲安恒が、古伝空手を踏まえて創始した武術空手です。多くの人にとって、まさに習得するのに最適な武術空手と言えましょう。
「武術の平安」テキストの内容
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