武術空手研究帳

武術空手研究帳・増補(1)「異なる二つの戦闘方式」- 第1回

 [ この増補(1)では、「異なる二つの戦闘方式」について論じていく。

 また、そのテーマと絡めて、「組形と単独型(単独形)」や「武器術と体術」という論点についても、共に解説していきたい。

 今回は、その増補(1)の第1回目である。]

戦闘方式には二種類ある

「武術の平安」の公開・伝授のページにも記したが、武術空手(即ち、近代空手及び古伝空手)と現代空手とでは、戦闘方式(戦い方)が全く異なる。

 この戦闘方式の違いについては、以前、個人的に一通りまとめてみたのだが、この度、琉球古武術(琉球古伝武器術)の復元作業が一段落したことで、武器術をも含めて、戦闘方式についてより広く考察出来るようになった。

 そこで今回は、「武術空手研究帳・増補(1)」として、この異なる二つの戦闘方式について、今までに考察してきたことを発表したいと思う。

 また、これに絡めて、組形と単独型(単独形)、武器術と体術というテーマについても、共に論じることにしたい。

 今まで、こうした観点から武術等を捉えた論稿は見たことがないので、発表する意義もあろうかと思う。

 なお、あらかじめ次の諸点にはご注意願いたい。

 * 以下では、武術に限らず、武道、スポーツ格技も取り上げるし、また、素手の体術のみならず武器術についても考察する。よって、それら全てを包摂する場合には「戦闘術」という名称でくくるものとする。

 * 個々の戦闘術を取り上げる場合には、原則としてその戦闘術の基本的・本質的な特徴に着目することとし、必要な場合を除いては細部には立ち入らないものとする。

 * 以下の論述の中で、「型」や「形」について論じる場合、例えば、二人で組んで行う「組形」や一人で行う「単独型(単独形)」について論じる場合には、その時は当然ながら、「武術」について論じているわけで、スポーツ格技等は除外して述べているものとする。

 では早速、この異なる二つの戦闘方式について詳しく考察していく事にしよう。

二つの戦闘方式、それぞれの特徴

 まず、異なる二つの戦闘方式の名称だが、この論稿では、その頭文字を取って、現代空手の戦闘方式を「G方式」、武術空手(即ち、近代空手や古伝空手)の戦闘方式を「B方式」と呼ぶことにする。

 では、それぞれの戦闘方式の特徴について、大雑把に概観してみよう。

  • *G方式:
    • 1.相手と本格的に接触した時点で勝負が決着・終了する方式。よって、相手と本格的に接触するまでの間の「駆け引き」が非常に重要となる。
    • 2.双方が、平等な立場で、自由に活動しながら攻防を行う戦い方。
    • 3.相手と離れて戦うために、空間的(間合的)・時間的(タイミング的)に変化が激しい戦い方。よって、「視覚情報」が極めて重要になる。
  • *B方式:
    • 1.敵と接触した時点から本格的な勝負が開始される方式。よって、敵と接触してからの「技の切れ味」が非常に重要になる。
    • 2.一方が他方を制約・拘束し、有利・不利という格差が生まれる戦い方。
    • 3.敵と接触しながら戦うために、空間的(間合的)・時間的(タイミング的)な変化が相対的に乏しい戦い方。よって、あくまで極論すればだが、「視覚情報」は左程重要ではない。

 では、1~3.の順に、より詳しく見ていこう。

 まず1.についてだが、現代空手の組手試合にも色々なルールはあるが、G方式は打突技のみの戦い方なのだから、本質的な観点からすれば、相手と本格的に接触した時点が勝負終了時点になるのは当然のことである。そして、この戦い方では、間合やタイミングを調整しながら、フェイントを掛けたり等しつつ、チャンスを窺うのであるから、こうした「駆け引き」がとても重要になってくる。

 これに対し、B方式では、打突技のみならず取手技も使用するために、敵と接触することが、むしろ本格的な勝負開始のタイミングとなるのだ。そして、敵と接触後に勝負が本格化するために、敵の身体を崩していく取手技を中心とした「技の切れ味」が決定的に重要になってくる。

 次に2.についてだが、G方式では、相手と離れた状態を維持しつつ、打突技のみで戦っていくために、相手の「自由な活動」を常に許すような形式で勝負が進行していくわけである。立場の点を見ても、特に一方が有利というわけでもなく、常に双方が「平等」の立場で勝負が進んでいくわけだ。(その結果、勝負の中に色々な「不確定要素」(ex.ラッキー・パンチ)が入り込んで来る余地が(時間の経過と共に)大きくなるのであり、よって、余程の実力差でもない限り、「敵を確実に制圧する」ことは困難になって来る。)

 これに対し、B方式では、打突技のみならず取手技も駆使して、(受け技等で)敵と接触するや否や直ちに敵の身体を崩し拘束していくのであり、敵の「自由な活動」を封じ込め、敵を反撃不能な状態に引きずり込んで勝負を決する、という戦い方をするのである。よって、立場の点でも、「我は有利、敵は不利」という状態に持ち込むわけだから、決して「平等」な戦い方ではない。(その結果、勝負の中に色々な「不確定要素」が入り込んで来る余地が非常に少なくなるのであり、実力差が勝負に素直に反映されやすくなり、上達するほどに安定的に「敵を確実に制圧する」ことが可能になってくる。)

 最後に3.についてだが、G方式は、お互いに自由に活動する中で勝負を決するわけであるから、双方の距離(間合)は常に変化して止まず、よって、「視覚情報」を重視しながら戦うことが重要になる。また、相手が動き回るために、打突技を当てるのも、静止している相手の場合と比べて、格段に難しくなる。

 これに対し、B方式では、敵をいわば「陶物(すえもの)」にしてしまうのであるから、打突技にしても、試し割りに近いような命中率の高さと大きな威力が出せるわけだ。さらに、取手技がきちんと決まっていけば、戦いの最中に変化する敵の姿勢・状態等も(あえて視覚に頼らなくとも)手に取るように分かるようになる点も、この戦闘方式の大きな特徴と言える。

他の戦闘術における戦い方

 以上、二つの戦闘方式について概略を解説したが、ここで、空手以外の代表的な武術・武道・スポーツ格技についても、その戦闘方式の違いに応じて分類してみることにしよう。

  • *G方式:
    • 現代空手
    • 剣道
    • 古伝剣術等の武器術の多く(ごく一部の武器術はB方式に分類される。また、隠し武器等の小型の武器を使う武器術の中にも、B方式に分類されるものがある。)
    • ボクシング
    • 中国拳法
    • フェンシング
    •  等々
  • *B方式:
    • 武術空手(近代空手、及び、古伝空手)
    • 柔道
    • 古伝柔術
    • グレイシー柔術(ブラジリアン柔術)
    • レスリング
    • 林崎流居合術
    •  等々

 では、上記の内容について、詳しく見て行くことにしよう。

 まずはG方式だが、日本刀や各種の武器は、素手とは異なり、それ自体に一定の重量と硬さ・鋭さを持っているのであるから、こうした武器術の技には、いわゆる「一撃必殺(一打必倒)」の威力が本当にあるわけで、よって当然に、敵の身体に我の武器が接触した時点で勝負は基本的に決着することになる。だから、武器術の戦い方はG方式になるのが通常なのだ。

 従って、別言すれば、このG方式の戦い方というのは、本来は「武器術用の戦闘方式」と言っても過言ではないことになる。

 次に剣道だが、確かに現在では「竹刀競技」と化した感はあるが、そもそもは古伝剣術の延長上に生まれた武道なのであるから、これも当然にG方式ということになる。

 ただ、仔細に見ると、古伝剣術ならば、たとえ打ち込みが浅くとも、日本刀であれば敵はかなりのダメージを受けるわけだが、剣道では、浅い打ち込みなどは一本にはせず、審判は両者を離して再び仕切り直しをする。その結果、打ち込み等をお互いに何度も繰り返す試合展開になりやすく、その分、先述の「不確定要素」発生の確率は高まることになる。

 つまり、審判もルールも制限時間も存在しない武術の勝負にあっては、「敵を確実に制圧する」ということが至上命題になるわけだが、このG方式の戦い方の場合には、古伝武器術のように最初の接触あたりで勝負がつけば「不確定要素」はほとんど発生せずに済むのだが、何度も「離れては、また戦う」という行為を繰り返していくと、「不確定要素」が発生する確率は飛躍的に高まるのである。即ち、格下の者が半ば偶然に発したような攻撃技が、幸運にも格上の者にヒットするケースなども発生しやすくなるわけだ。

 さて、今度は現代空手だが、これは打突技のみの武道であるため、必然的にG方式にならざるを得ないわけだが、組手試合のルールを制定していく過程における現代空手家達の意識の上では、空手家の手足は武器であり、その攻撃は「一撃必殺(一打必倒)」なのだから、武器術と同じ戦闘方式が妥当、という判断がなされたことは想像に難くない。

 しかし、武術空手研究帳で述べた如く、船越義珍は組手試合には終生反対しており、彼が作ったのは「基本体系」即ち「その場基本、移動基本、約束組手」だけである。その先の「自由組手、組手試合」の部分は主に若い弟子達が作ったのだ。つまり、武術がどうのとか考える能力が未だ乏しかった若者達が作ったわけだ。

 しかも、船越が作った「基本体系」にしても、かなりテキトーに作られており、約束組手の延長上に自由組手がスムースにつながるようにはなっていないのだ。

 その最たる原因の一つが「受け技」である。船越が作った現代空手の受け技は、本来受け技では無い動作を使用して作ってしまったために、約束組手では、一歩後退しなければ相手の攻撃を受けることが出来ないシステムになってしまったのである。

 しかし、本来受け技というのは、受けなければ我の身体に敵の攻撃技が当たってしまう、という状況下でこそ必要な技なのであり、よって、後退することなく受けることが出来る技でなければ意味をなさないのだ。

 だから、現代空手の「自由組手、組手試合」では、(約束組手のように受けるたびに後退していては、お互いにトタン、トタンと埒の明かない戦いになってしまうために)約束組手とは根本的に異なる戦いを展開するより他に方法がないわけで、結局、「その場基本、移動基本、約束組手」と「自由組手、組手試合」の間には、一種の体系的な断絶が見られることになったのである。

ボクシングはギャンブルだった

 さて、ここで話を戻すが、要するに、現代空手はG方式を採用しているが、取り立てて戦闘方式について深く考察した形跡もなく、かつまた、具体的な戦い方自体も、基本からしっかりと体系立ったシステムを確立したわけでも無かった、ということだ。

 だが、このように結論付けると、次のような反論が予想される。

 “確かに、G方式というのは本来武器術に馴染む戦闘方式のようだ。しかし、ボクシングや中国拳法もこのG方式を採用しているのだから、特に現代空手だけを取り上げて問題視する必要もあるまい・・・”

 よろしい。では次に、ボクシングについて考察してみよう。

 およそ「握った拳で相手を殴る」という行為は、人類誕生時くらいから存在していたはずだから、ボクシングのルーツと言っても、辿っていけば異常に古い話になろう。

 しかし、現在のボクシングの直接のルーツとなると、数百年前に英国で行われた「喧嘩試合」がそれに該当すると言われている。その試合は、何でもありの試合で、殴る、蹴る、投げる、締める、関節を極める、噛み付く、等々、まさに喧嘩そのものだったのである。

 しかし、これでは、選手の死亡や大怪我があまりにも頻発したために、何度と無くルールが改定され、ようやく現在のボクシングが誕生したわけだ。

 しかし、ここで注目したいのは、この度重なるルール改定は、確かに表面上は「選手の安全のため」に行われたのではあるが、同時に、「ギャンブル(賭博)性を維持しつつ」行われた、という事実である。

「喧嘩試合」自体がそもそもからギャンブルの対象だったわけで、単なる興行に止まらず、より一層お金を生む賭博の対象、という性格を持っていたわけだ。

 ギャンブルというのは、試合前に結果が分かるようなら成立しない。一番良いのは、いわゆる丁半博打なのであって、いずれの結果が発生するのも二分の一の確率、というのが最も良いギャンブルなのだ。

 そこで、体重の同じ様な者同士を戦わせたり、手にグラブを付けることで勝負が長引くようにしたり(そうすれば「不確定要素」が発生する機会が増えるから)、そして、「喧嘩試合」から、取手系の技を排除し、手による打突技のみでG方式の戦い方をさせるようになったのも、試合結果が予想しにくくなることが経験的に分かったからである。

 このように、ボクシングのような戦い方というのは、興行としては成功しやすい。ギャンブル性が高いほど観衆は興味を持って試合を見るし、打突技の攻防(それも手技のみ)というのは単純なために素人にも理解しやすく、さらに、ノック・アウトで勝負が決着すれば観衆のストレス解消にも寄与するからだ。(現代空手を母体にした格闘技というのも、今までにいくつか誕生したが、それらが成功したのも、上記のボクシングと同様の諸要素があったからである。)

 しかし、体術において、このような戦い方、即ち、「打突技のみでのG方式の戦い方」というのは、観客にとっては面白くとも、戦う者にとっては(勝利が偶然に支配される余地があるために)勝利への安定感の乏しい戦い方になってしまう。つまり、そうした戦い方を極めて行っても、必然的な勝利、即ち、「勝つべくして勝つ」という境地へは到達し難い、ということだ。

 現在では、武術等に興味がある者で、ボクシングの試合を見たこともない、という人はいないであろう。現代空手にしても、私が現代空手を始めた頃は一体どんな戦い方をするのかあまり知られてはいなかった時代だが、今では、現代空手的な興行試合があり、また、映画のアクション・シーンやアニメやゲームにも現代空手的な戦いが登場するために、多くの人がその戦い方のイメージくらいはしっかりと持っている時代だ。

 だから、現代空手やボクシングの戦い方というのは、現在では、ほとんどの人にとって空気のようなものであり、極めて当たり前の常識として受け止められているわけで、その戦い方自体にあえて疑問を持つ人などは、ごく一部の格闘技の研究家や実践家のみに限られるのである。しかし、そうした戦い方は、体術家(すなわち、体術の実践家)の立場から見たら、決して理想的な戦闘方式とは言えないのである。

 * 上記本文中に“審判もルールも制限時間も存在しない武術の勝負にあっては、「敵を確実に制圧する」ということが至上命題になる”と記したが、少し補足しておこう。

 武術の勝負には「立会人」のような者は存在したが、これは、勝負の成り行きを見守る証人なのであって、現代スポーツの試合における絶対的な存在である「審判」とは大きく立場が異なる。

 また、例えば剣術の勝負では、「飛び道具は使わない」などの不文律はあったであろうが、武術の勝負では、ことさらにルールが細かく規定されていたわけではない。

 さらに、武術の勝負は、通常は「時間無制限」なのであり、結果が出るまで行われたのだ。

 こうした勝負を前提とする限り、武術においては、何よりも「敵を確実に制圧する」ことが至上命題とされたのである。そうしなければ、自己の生命・身体の安全・自由が確保出来ないからだ。

 ** ボクシングは、上述の如くG方式で戦うスポーツ格技なのだが、細かく見れば、これを出来るだけB方式のように戦うことも可能だ。

 例えば、相手を、コーナーかロープ際に追い込み、猛烈なイン・ファイト攻撃で反撃不能状態に追い込み、そこですかさず必殺のKOパンチを繰り出してノック・アウトする。

 こうした戦い方は、G方式ではあるものの、かなりB方式的な戦い方なのであり、これを得意パターンとして確立出来れば、より安定的に勝つことが出来るようになる。(デビュー当時のマイク・タイソンがこの戦い方をしていたのを思い出す。最後は必ず、右ロー・フックと右アッパーの連打でKOしていたものだ。)

(=> 増補(1)- 第2回へ進む)

*** プロフィール ***

プロフィール

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 長谷川光政

 昭和33年(1958年)、東京生まれ。

 中学生(12歳)の時に剛柔流の空手を習ったのが、空手との最初の出会い。

 それ以来、首里手系の空手や、フルコン系、防具系の各流派等でも空手を学ぶ。

 しかし、いくら修行をしても、どうしても既存の空手に納得がいかず、最終的には自分一人での研究・修行を続けることとなった。

 それから十五年以上が経過した四十歳台後半に至って、遂に、失伝していた古伝空手の核心的技術である「当破(アティファ)」を発見することに成功。

 それ以降は、その発見をきっかけに、古伝空手の型に関する様々な謎も解明出来るようになった。

 また同時に、糸洲安恒の創始した近代空手の代表型である平安(やナイファンチ初段~三段)についても、その謎を解き明かすことに成功した。

 現在では、琉球の古伝棒術等の研究も一通り終了しており、新たな発見等については、漸次、この「武術空手研究帳」の「増補」等を通じて公開発表していく予定である。

 東京大学教育学部体育学健康教育学科卒。