武術空手研究帳

* 以下に掲載するのは、「月刊 空手道」(福昌堂) 2009年1月号~2010年2月号に連載された「武術空手研究帳」(但し、一部表現を追加・変更)である。

武術空手研究帳 - 第10回

 [ 今回は、「型」に関する諸論点を扱っていきたい。

 まずは「型の変形」というテーマから論じていこう。]

正反対をやっている

 一体、型が変形するには、どのような要因があるのだろうか?

 まず、本土に型がもたらされた場合などで、型を持って来た人が意図的に変えた部分もある。

 例えば、一手抜いてしまう、などのことをするのである。

 これは、特に危険な技のあたりで、分解をより一層困難にする意図で行なわれたものである。

 また、松涛館流の横蹴りのように、やはり意図的に導入された変形もある。

 次に、古伝系の型に「平安」の動きが逆輸入されたケースもある。

 これは、「平安」と表面上対応していると思われるところが、いつしか「平安」と同様の動きになってしまったケースである。

 そして、これとは全く逆に、「平安」の中に古伝系の型の動きが入ってしまったケースもあるのだ。

 また、先に述べた、「基本技」の逆輸入もある。これは相当に広範囲に及ぶわけで、変形の一大要因にもなっている。

 さらに、弟子達が動きをオーバーにしてしまったところもある。

 何しろ、意味(分解)が全く分からないのであるから、血気盛んな若者達が、ハデな動きにしてしまったところもあるわけだ。

 それから、型にはよく左右対称の動きが出てくるが、本来は左右対称ではなかったものを、何がどうなったか分からないが、左右対称の動きに変えられてしまったケースもある。

 その他にも、どこから来たのか不明な動きが混入するなど、色々な変形がありうるのである。

 さらには、分解の解釈によって変形させられてしまったところもある。

 つまり、ここはこういう意味であろう、と考えて、それに合せるように型の動きを変形させてしまった、ということだ。

 こういう変形は、本来の正しい方向、つまり、「まずオリジナルの正しい型があって、それを正しく分解する」というやり方からすれば、正反対のことをやっているわけで、自分独自の考えで、型自体を変えていってしまう結果になるのだ。

「技」を部分的に捉える

 では次に、「型」の「分解」について、もう少し細かく見ていこう。

 先述したように、型の「分解」というのは、本来は、唯一の正しい「真の分解」があるのみなのであるが、現代ではそのようには考えられていないのであって、型の一部を切り取って、それを基にして色々な分解を生み出すことが出来る、と思われているのである。

 こうしたことが、いかに他の諸問題をも引き起こすかについて、ここで見てみることにしよう。

 まず、型の一部から色々な分解を生み出す関係上、型の見方が非常にアバウト、悪く言えば、雑になってしまうのである。

 例えば、型の中に二挙動の内受けの動きがあるとして、それをエンピの落とし打ちなどに解釈しても、許されてしまうのである。

 そもそも、二挙動の内受けというのは、脇の下から拳を出してくる動きであり、しかも、上下方向で言えば、拳は下から上の方向に動いているのであるから、それを、拳を上から下に動かすエンピの落とし打ちの動きとして解釈するのは、どう見てもおかしいと思うのだが、これでも分解として通用してしまうのである。

 さらに、型の見方のアバウトさについては、現代空手家に特有の欠陥というものがある。その点もここで指摘しておきたい。

 一例を挙げる。

 私の手元に、ある型分解の本があるのだが、その中に、ある型の中の、三歩前進しながら手を上下に動かすところの分解が載っている。

 私の友人で、空手の素人の者にその分解を見せたところ、彼はこう言ったのである。

 「型では三歩前進しているんだろう?でも、こちらの分解では一歩後退になっているけど、空手の分解ってこれでいいの?」

 この友人は、空手は素人だが、他のスポーツは色々やっているのである。

 つまり、こういうことだ。他のスポーツの世界では、「技」というのは「全身運動」として捉えられているのである。

 テニスにしてしかり、サッカーでも野球でもそうである。

 柔道の「背負い投げ」にしても、例えば腕だけの動きとしては考えておらず、やはり「全身運動」として捉えているのである。

 しかるに、現代空手家は、他のスポーツ選手達とは異なり、「技」というものを、極めて部分的に捉えてしまうのだ。

 どうして、こういうことになってしまったのか、というと、その直接の原因は「その場基本(特に手技)」にあるのだ。

 足を固定して、腕だけの運動を延々と繰り返すことで、いつしか、「技とは全身運動である」との、他の世界では当たり前のことが、当たり前ではなくなってしまったのである。

 その結果、型の分解に際しても、上記のごとく、運足を度外視するようになってしまったわけで、前進を後退に解釈しようが、反時計回りを時計回りに解釈しようが、三歩前進を前進・後退・前進に解釈しようが、止っているのを後退に解釈しようが・・・、もう、どうでも良いのである。

 このくらい型の見方がアバウトになってしまえば、翻って、分解の対象である「型」自体も、まぁ適当で良いということになってしまうわけだ。

 何しろ、それがどれほど変形している型であっても、とにかく何らかの分解の発見は出来るのであるから。

 本来ならば、まずもって、自分が分解しようとしている型それ自体がオリジナルなのかどうか、というところから検証しなければならないのだが、そういうことは全く考えないようになってしまったのである。

 そもそも、型の存在意義には色々あるが、その一つに、その型を創った人が本当に伝えたかった業技を伝承するという「暗号文」の役割があったのだ。

 しかし、現在では、この「暗号文」が変形しまくっており、かつまた、暗号解読の方法も相当にアバウトときているのだから、もう本当に伝えたかった業技などは、全くの闇の中という状況なのである。

 大体、型の中から適当に動作を選び、それを自分の好きなように分解して良いというルールのもとでは、結局のところ、「自分がもともと知っていた技」を見つけるだけのことになってしまうのであり、結果、他武道の技などが、空手の型の分解に堂々と登場してしまうことにもなるのだが、ほとんどの人が、そのことに気が付いていないのが現状なのである。

 本当に今まで見たことも聞いたこともない色々な業技を型から発見するためには、当り前のことなのだが、「まずはオリジナルの正しい型を定め、それを正しく分解する」というやり方をとる以外に方法はないのである。

 さて、分解については、もう一つだけ、注意してもらいたいことがある。

 それは、出来上がった分解の「検証」という作業なのだ。

 自らが考えたその分解が、本当に、古伝なら武術、平安なら最低でも日常護身術としての水準にあるのか、ということをチェックすべきなのである。

 しかし、発表される分解の中には、実戦では役に立たないものや、ルールに守られたスポーツ感覚のものもあり、これでは、簡単に敵の反撃をくらってしまうわけで、文字通り、「生兵法は大怪我のもと」の「生兵法」そのものになってしまうのであるから、十分な注意が必要なのである。

大衆的な空手ではない

 今度は、「型」というものの捉え方の違いについて、少し論じておきたい。

 まず、名称だが、私は、古伝空手および近代空手における単独型を「練武型」と呼んでいる。

 何故なら、「武を練る」ための型と捉えているからだ。

 これに対して、現代空手における単独型のことは「表演型」と呼んでいる。

 最近では、身体操作のことばかりが強調されているようだが、人間の行動について論じる場合には、「認識」の問題は、決して避けて通ることは出来ないのであり、また、してはならないことでもあるのだ。

 さて、現代空手において、型を行っている人の認識について考えてみると、真の分解は分かっていないのであるから、当然、正しく敵を仮想するなどという事はしていないのであり、では、一体何を考えて型をやっているのかというと、「自分は、今、審判や先生や観客の目に、どう写っているのか」ということを考えながら型をやっているのである。

 「武術」の本質は「勝負」なのであるが、この現代空手における型演者の認識の本質は、完全に「表現」となってしまっており、すなわち、「芸術」活動に分類されるのが正しいことになるわけだ。

 これは、有り体に言えば、舞台で芝居を演じる役者と本質的に全く同じ認識状態なのである。

 従って、私は、現代空手における単独型のことを、「表演型」と呼んでいるのである。つまり、「発表会で演じる」ための型、ということだ。

 現代において、古伝系の型を「練武型」に戻せといっても、古伝空手自体は大衆的な空手ではないので、もうこれは無理と思うが、せめて、「平安」くらいは「練武型」でやってほしいと思うのである。

 現在では、「平安」を、ほとんど昇級審査のお飾りのような存在にしてしまっている流派も多いのではないか、と思うのだが、これではまるで、重要文化財のお皿を、庭の隅で植木鉢の下に敷いているようなものだ、と言ったら言い過ぎであろうか。

 もう少し、近代空手の「傑作」といってもいい、この「平安」という型を、再評価していただきたいものである。

(=> 第11回へ進む)

*** プロフィール ***

プロフィール

プロフィール画像

 長谷川光政

 昭和33年(1958年)、東京生まれ。

 中学生(12歳)の時に剛柔流の空手を習ったのが、空手との最初の出会い。

 それ以来、首里手系の空手や、フルコン系、防具系の各流派等でも空手を学ぶ。

 しかし、いくら修行をしても、どうしても既存の空手に納得がいかず、最終的には自分一人での研究・修行を続けることとなった。

 それから十五年以上が経過した四十歳台後半に至って、遂に、失伝していた古伝空手の核心的技術である「当破(アティファ)」を発見することに成功。

 それ以降は、その発見をきっかけに、古伝空手の型に関する様々な謎も解明出来るようになった。

 また同時に、糸洲安恒の創始した近代空手の代表型である平安(やナイファンチ初段~三段)についても、その謎を解き明かすことに成功した。

 現在では、琉球の古伝棒術等の研究も一通り終了しており、新たな発見等については、漸次、この「武術空手研究帳」の「増補」等を通じて公開発表していく予定である。

 東京大学教育学部体育学健康教育学科卒。