* 以下に掲載するのは、「月刊 空手道」(福昌堂) 2009年1月号~2010年2月号に連載された「武術空手研究帳」(但し、一部表現を追加・変更)である。
武術空手研究帳 - 第8回
[ 現代空手について述べる最終回。
今回は、現代空手とは如何なる武道なのか、について論じることになる。]
真実を明かすべきだろう
この「平安二段」を、糸洲安恒は、平安初段、三段、四段、五段の四つの型を創った後に、割とあっさりと短期間で創っているわけだが、この型に出てくる技を見てみると、基本的に全て、他の平安型に出てくる技ばかりなのである。
その点で、何も目新しいものはない。
では、この型に出てくる技というのは、一体どういう基準で選ばれたのであろうか。
簡単である。この型は「倒木法(倒地法)」を原理とし、「前傾姿勢」をとり、「順体歩行」を強調する型なのであるから、単純に、そうした動きに馴染む動作、すなわち、「前方に大きく引っ張られるような動作」が選ばれたのである。
「正拳中段突き」「下段払い」などは、まさにそういう動作の典型である。
「上段揚げ受け」については、現在はこれが基本技に入っている関係で、小手を、顔のすぐ前で、真下から真上の方向に動かすような動作で行なっている流派もあるようだが、本来の「平安二段」の中の「上段揚げ受け」というのは、受け手の鉄槌を水月のあたりに持ってきて、そこから前方四十五度上方に向けて、拳を突き刺すように動かしたのである。
これであれば、前方に大きく引っ張られるような動作になることが分かるはずである。
(注:下段払いについても、現在では、蹴り技に対する受け技と思われている関係で、かなり急な角度で払う動作になっているようだが、本来の「平安二段」の下段払いというのは、払い終わったときの腕は、床に対して四十五度の角度になるのが正しいのである。)
最後の「手刀受け」であるが、これは昔から後屈立ちと相性の良い技で、糸洲は、前屈立ちのみならず、後屈立ちも「平安二段」の最後に入れた関係で、そこでは「手刀受け」の動作を採用したわけである。
このように、「前方に大きく引っ張られるような動作」というのを基準に技を選んでいったのであるが、同時に、「平安二段」は「鍛錬型」なのであるから、一挙動ではなく、二挙動の動作の方が運動量が多くなって好ましいので、「二挙動の動作」というのも、もう一つの選択基準になったわけである。
ちなみに、「内受け」が入っていないのは、この動作が、「前方に大きく引っ張られるような動作」ではないからなのであり、また、中段の動作としては、すでに最適な「正拳中段突き」があったからなのである。
(また、言うまでも無いことだが、「平安二段」に蹴り技が無いのは、この型は「順体歩行」を強調する型で、すなわち、「歩行」の際の足と手との関係がテーマなのであるから、蹴り技が登場してくる余地は最初から無いのである。)
以上が、糸洲安恒が「平安二段」を創るときに採用した技選択の基準なのであるが、もうお分かりのとおり、糸洲は、「基本技」などという考えで技を選んだのではなかったのである。
しかし、「前傾姿勢」を、従ってまた、発力原理としての「倒木法(倒地法)」を、「平安」から消してしまっていた船越義珍は、この平安二段という型の真の意味、すなわち、「倒木法(倒地法)」を原理とし、「前傾姿勢」をとり、「順体歩行」を強調するための型、ということを見抜けなかったのであり、そのために、この型を、糸洲安恒が基本技を示すために創った型と誤解してしまったのである。
もうここらで真実を明かすべきだろう。
実は、糸洲安恒が「平安二段」に入れた「正拳突き」以外の技、すなわち、現代空手では「受け技」と称されている各種の二挙動の技というのは、そもそも、他の「平安」シリーズの型の「真の分解」では、基本的に「取手系」の技なのである。
つまり、本来は、現在指導されているような、前手で敵の突き蹴りを受けるなどという技ではないのである。
それにもかかわらず、これらを「受け技」にしてしまっているのが、現在まで続く「基本体系」なのである。
「平安二段」には含まれておらず、「基本体系」創出の際に付け加えられた「内受け」にしても、本来、「平安」シリーズの「真の分解」の中には、敵の突きを受ける一挙動の内受けがあったのだが、それを無視して、あえて二挙動の、つまり「取手系」の内受けが選ばれたのである。
理由は簡単である。他の基本の「受け技」が全て二挙動なのだから、それらと整合性を持たせるために、そうしたのである。
もうお分かりであろう。現代空手家達が、日々、繰り返し練習している基本技としての「受け技」というのは、最初から「受け技」などではなかった、ということなのだ。
これが分かったとき、私は思わず「俺の青春を返せ!」とつぶやいたものだが、考えてみれば、私の先生達も、青春捧げてこれらの「受け技」をやらされてきたのであり、まぁ、文句を言っても始まらないわけである。
さて、先ほど、本来、「平安」シリーズの「真の分解」の中には、敵の突きを受ける一挙動の内受けがあった、と書いたが、実は、「基本体系」が出来上がった後に、古伝系の型にも、また「平安」シリーズにも、「基本技」の逆輸入が始まってしまったのである。
どういう事かというと、例えば、「平安」の手刀受けには、本来は、二種類の動きがあったのである(古伝の型の場合にはもっと色々な種類があったのだが)。
一種類は、引き手に取る手を前方に伸ばす方式であり、もう一種類は、引き手に取る手を他方の手と耳の近くで交差させる方式だったのである。
一つだけ具体例を挙げると、平安四段の最後の二回の手刀受けは、本来は、一回目は、引き手に取る手を交差させる方式だったのであり、二回目は、引き手に取る手を前方に伸ばす方式だったのである。
しかし、「基本体系」が確立した後、どこの流派でも、全ての型の手刀受けを、自分のところで採用した基本技としての手刀受けの方式に、統一してしまったのである。
これもまた、現在、分解を困難にしている原因の一つなのだ。
このことは何も手刀受けばかりではない。内受けにしてもそうなのだ。
先述したとおり、平安シリーズの「真の分解」には、ちゃんと突きを受ける一挙動の内受けも出てくるのであるが、基本技として二挙動の内受けが採用されてしまった以上、平安の型の全ての内受けが、二挙動の取手系の内受けになってしまったのだから、もう、どうしようもないほどの変形なのである。
何故「未完成」か
さて、本来「受け技」ではない技で受けろ、というのであるから、自由組手などには使えないのも当然なのだが、それでは何故「約束組手」というのが成立したのか、というと、そこにはちゃんとトリックがあるのだ。
あの「約束組手」のとき、受ける方が大きく後退するのがミソなのだ。
敵が突いてくるとき、我は自然体で立っているのだが、敵はその我が自然体で立っているところを目がけて突いてくるのである。
そのとき、大きく後退してしまえば、もう敵の突きはこちらには当たらないのである。
この当たらない突きを、各種の基本の「受け技」で受ける、というのが、あの「約束組手」なのである。
そもそも当たらない突きなのであるから、本来「受け技」ではない技であっても、何か「受けた」ような体裁にはなるだけのことなのである。
では一体、船越義珍は何故このような「基本体系」を創ったのであろうか?
結局のところ、船越は、最終的に試合へとつながっていくような(例えば柔道のような)、まともな体系を創る気は全くなかったのである。
要するに、「組手がやりたい」と弟子達が言うので、とりあえず、適当な練習方法を作ってやれば一応満足するだろう、という程度に考えたに違いないと思われる。
「受け技」にしても、例えば「平安」の「真の分解」の中には、ちゃんと敵の攻撃技を受けることが出来る各種の「受け技」があるのに、あえてそれを選ばずに、二挙動の取手系の動きを採用したのも、上記のごとき理由のほかにも、約束組手の中で本格的な攻防が発展していくのを怖れたからだ、という理由も考えられる。
つまり、本格的な本物の「受け技」を弟子に教えてしまうと、今度は、それを打ち破る水準の攻撃技を磨いていくことにもなりかねず、結果、組手が危険な方向にエスカレートしていくことを怖れたのであろう。
以上から分かるとおり、この「基本体系」というのは、未完成の試作品的「体系」に過ぎなかったわけだ。
何故「未完成」かというと、近代・現代武道の体系というのは、最終的には「試合」を含まなければ満足な体系とは言えないからである。
近代・現代武道とは、要するに「格技」というスポーツを意味するのであるから、絶対に「試合」が必要になるのである。
また、何故「試作品」かというと、本来「体系」というものは、全体を一度創っただけではまだ不十分で、例えば、試合をしてみて、これは基本技に問題があるとなれば、基本技にフィードバックして色々と検討し直さなければならず、こうしたことを何度か繰り返して、ようやく体系と呼べる水準のものが出来上がるからである。
しかし、結局は、この未完成の試作品的「基本体系」から現代空手は始まったのであり、現在では、試合方法も、寸止め、防具、フルコン等と色々生まれているが、試作品的な「受け技」などは、ほとんどの流派で、十年一日のごとく墨守されているのが現状なのである。
とにかく、船越義珍にしては、さぞや「角をためて牛を殺す」の感があったことであろう。
この「基本体系」を与えてやれば、今度は型の練習もしてくれるか、と思いきや、弟子達は、「基本-移動基本-約束組手」という体系に、今度は「自由組手-試合」という体系をプラスして突き進んでしまったわけであり、もうこの体系に「型」の入る余地はなくなってしまったからである。
「入門にして奥義」の地位も、かつての「型」から、今では「(その場)基本」になってしまったわけである。
かくして、現代空手は「型不要の空手」となってしまったわけなのである。
困った船越は、現代空手と唯一関連のある型である「平安二段」の演武線をもとに、各種の基本技を組み合わせた型なども創作したが、もう「型不要の空手」なのであり、そんな型を練習するよりも、「入門にして奥義」の「(その場)基本」の練習の方が大事、という段階に突入してしまったわけだ。
さて、こうして現代空手の誕生について見てみると、改めて考えさせられるのが、柔道との比較なのである。
柔道は、嘉納治五郎によって綿密に研究・工夫され、最初から近代スポーツ武道としてスタートした。
それに対して、現代空手は、上記のような「未完成の試作品的基本体系」からのスタートに過ぎなかったわけである。
もちろん、空手の世界にも嘉納治五郎に匹敵する偉大な人物である糸洲安恒がいたわけであるが、残念ながら、糸洲が目指した方向はスポーツの世界ではなかったのである。
先述したが、糸洲は考えに考えを凝らして「平安」の型を創り上げており、この五つの型を修練すれば、誰でも短期間に相当な強さを獲得できるように工夫されているのだが、その強さというのも、スポーツ的な「試合」での強さではなく、「実戦」における強さなのである。
後ほどさらに詳しく述べるが、「平安」という型も、最終的には「軍隊」を視野に入れて設計・創作されており、近代社会において、武術が存続しうる唯一の場所として、軍隊を考えていたわけで、この点で、嘉納治五郎の発想とは大きく異なるのである。
私は柔道の経験もいささかあるが、柔道をやっている限り、まず、根本的な悩みというのは発生しない。
つまり、確立したルールのもとで、いかに強くなるか、という一点に集中できるのである。
しかし、空手は柔道とは異なり、実に「悩み多き」世界なのである。
この意見に賛同してくださる読者も多いのではあるまいか、と思うのである。
そこで、これは私見ではあるが、一言述べさせていただく。
まず、空手をスポーツと割り切ることが出来る人ならば、現行のルールの中での強さを求めて精進していけばよいと思う。
ただ、その際、指導者の方々に申し上げたいのだが、やはり現行の「受け技」は、何とか工夫して、もう少しまともな技に改良していただきたい、と思うのである。
そもそもが受け技ではない受け技というのは、やはり、おかしいからである。
他方、空手を武術として捉えたい、と思っている人はどうすべきか?
まず、古伝空手は、その世界に到達するだけでも至難の技であるし、かつまた、質的に見ても、あまりにも現代空手とかけ離れ過ぎている。
その点で、近代空手の代表型である「平安」ならば、現代空手と質的にはほとんど同質であるし、また、糸洲安恒の努力のおかげで、短期間で相当に強くなれるように工夫されていることからも、私としては、「平安」の修行をお勧めする次第である。
もっとも、そうは言っても、ただ「平安」の型だけを練習していても仕方が無いのであり、やはり、「平安」の「真の分解」等を理解しない限りは、武術の修行にはならないわけである。
そこで、時期・方法等は未定だが、真剣に学びたいという人達に対しては、いずれ「平安」の「真の分解」等を公開・伝授しようと考えている。
(*「武術の平安」の公開・伝授は、開始されました。詳しくは、こちらをクリックして下さい。)