武術空手研究帳

武術空手研究帳・増補(1)「異なる二つの戦闘方式」- 第3回

 [ この増補(1)では、「異なる二つの戦闘方式」について論じていく。

 また、そのテーマと絡めて、「組形と単独型(単独形)」や「武器術と体術」という論点についても、共に解説していきたい。

 今回は、その増補(1)の第3回目である。]

B方式は基本的に体術用の戦い方

 では、ここからはB方式について見ていくことにしよう。

 このB方式という戦闘方式は、大雑把に言ってしまえば「体術用の戦闘方式」なのである。

(琉球の武術を含めて)日本の武術の体術は、基本的にこのB方式を採用してきた。

 それは、前述のボクシングとは異なり、武術は興行でもなければギャンブルの対象でもなかったからであり、「敵を如何に確実に制圧するか」という観点から産み出された技術だったからである。

 さて、体術に関しては、B方式である以上、必ず取手技はある。取手技を使用しなければ、敵を拘束することが出来ないからだ。

 問題は、①「取手技のみ」の体術か、それとも、②「打突技+取手技」の体術か、という点だ。

 そこで、先ほどB方式の例として挙げた各種の体術を見てみると、柔道やレスリングは①に属すが、古伝空手や近代空手そして古伝柔術等は②に属する。

 以上の事実から、基本的に見て、(和風、洋風を問わず)スポーツ格技は①であり、武術は②、ということが分かる。

 その理由について、ここで確認しておこう。

 まず、取手技というのは、打突技と比べると、かなり複雑なのであり、従って、技の危険度の幅も広く、マイルドな技からかなり危険な技まで種類が豊富にある。さらに、同一の技であっても、かなり正確に威力の加減が出来る(別言すれば、敵に与えるダメージの程度をかなり正確に予想出来るわけで、従って、技の効果にムラが無く安定しているのである)。

 これに対し、打突技というのは、単純で、かつ、技の種類もそれ程豊富ではない。さらに、威力の加減が難しい、という性質も持っている(これも別言すれば、敵に与えるダメージの程度が予想しにくく、技の効果にはかなりのムラがあるのだ)。

 そこで、まず、スポーツ格技として競技化する場合を考えてみると、スポーツである以上、かなり筋力を使う競技が好ましいわけだ。そうすると、打突技は、かなりの筋力を使って技を行うと危険度が高くなってしまうために、廃止されたのだ。そして、取手技の内、全力で掛けても危険が少ないマイルドな技を選定し、それらの取手技のみで格技を構成したのである。

 他方、武術の場合には、出来るだけ制敵効果の高い取手技と、強力な打突技とを組み合わせることで、最も効果的な武術を作ろうとしたわけだ。

 この点で、歴史と伝統のある真正な武術では、打突技と取手技とが見事に融合しており、中には両者が「化合」したような技すらある。

 これに対し、戦後に作られた新興の体術の場合には、打突技と取手技とが、基本練習の段階で別々に独立して稽古されるようなシステムになっており、また、型(形)などは存在しないのであるが、真正な武術では、最初から型(形)で稽古をし、しかも、その型(形)の分解が示す業技自体が、打突技と取手技とが見事に融合した形で構成されているものなのである。

 ここで、打突技と取手技が(分離せずに)融合すると、如何なる効果が現れるか、ほんの初歩的な一例だが、ここで取り上げて解説してみよう。

 例えば、柔術で、敵に掴まれたときに技を掛ける場合、最初に敵に対して当身を入れた上で取手技を掛けると、そうでない場合に比べて、取手技がより効果的に掛かるのだ。

 これは、取手技というのは、ある程度まで技が掛かると、敵は簡単には逃れられなくなるのだが、技の掛け始めのあたりは敵の抵抗に会いやすい。そこで、最初に当身を入れることで、敵の抵抗のチャンスを奪って、素早く取手技を掛けるわけだ。

 こうして見ると、取手技と打突技を組み合わせると、一種の相乗効果が発生し、1+1=2ではなく、1+1は2より大きくなり得るのである。

 以上はほんの初歩的な例ではあるが、こういった効果があるために、武術の場合は、こぞって②「打突技+取手技」の体術、それも、「打突技と取手技とが融合している体術」の道を選んだのだ。(「打突技+取手技」と表現すると、先述の「戦後に作られた新興の体術」をも含んでしまうことにもなるので、「打突技と取手技とが融合している体術」のみを特に表現する場合には、以後“「打突技×取手技」の体術”と表現することにしよう。)

柔術はマイルドになった

 さて、このB方式に属する武術の体術だが、古伝空手については、詳細は公開していないので、その技術に関しては読者も容易に想像し難いとは思う。しかし、その古伝空手を元に糸洲安恒が創始した近代空手については、既にこれを公開しているので、伝授を受けた方は、その具体的な技術をご存知のはずだ。それはまさに、「打突技×取手技」の体術(即ち、「打突技と取手技とが融合している体術」)そのものなのである。

 これに対して、古伝柔術は、果たしてそのような「打突技×取手技」の体術と言えるのか、との疑問を持つ方もいるかも知れない。というのは、現在見ることが出来る柔術の多くの流派では、打突技である当身をほとんど使っていないからだ。

 この点に関しては、いささか説明が必要になろう。

 まず、日本の武術が最も野生的にその技術水準の高さを誇ったのは、大雑把に言って、戦国時代末期から江戸時代初期の頃であったろう。その頃の柔術に比べると、現在の柔術というのは、相当にマイルドになっているのだ。

 もう少し詳しく論じると、明治期と大東亜戦争終戦後は、いずれの武術にとっても受難期だったのであり、柔術の修行者・研究者の間では良く知られていることだが、柔術は、これらの時期にかなりマイルドに変貌してしまったのである。

 特に明治期は、失伝してゆく柔術流派もあり、他方、生き残った柔術流派でも、勃興する柔道には人気の点で適わなかったために、柔術家が柔道も習得し柔道師範の資格を取り、柔道を表看板、柔術を裏看板にして道場を経営する例も珍しくなかったのだ。そういう場合には、一人の人間が柔道と柔術を合わせて習得することになるわけだから、当然ながら、大衆的な柔道の方が体の中で優先権を持つことになり、かくて、柔術の柔道化が自然と発生したのである。

 以上のことは割りと知られていることなのだが、私見としては、柔術のマイルド化は、既に江戸時代の二百数十年間に発生していた、と考えている。

 先述の如く、戦国末期から江戸初期のころが、技術的に見て武術としての柔術の全盛期と思うが、柔術は稽古方法として二人で組んで行う組形を採用していたために、その時期以降は危険な技等を次第に奥に仕舞い込んでいき、平素は危険性の少ない技を中心に稽古するようになっていった、と考えるのである。

 組形と単独型(単独形)については後に詳述するが、ここで組形の欠点の一つを挙げると、「安全性の確保(危険性の除去)」に配慮しなければならない点を指摘出来よう。つまり、稽古仲間に怪我をさせるわけにはいかないために、比較的マイルドな技が日々の稽古の中心になっていったのであり、危険な技や業技は、失伝させるか、そうでなければ、奥伝の最後の方で形式的に習得するようになっていったわけだ。江戸時代にも、新しい技の開発は行われたであろうが、危険な「殺し技」よりも、日々の稽古で使用可能なマイルドな技の開発の方が主流になっていったはずだ。

 こうした結果、江戸時代後期には、自由に技を掛け合う「乱取り」という稽古法を取り入れた天神真楊流という流儀が生まれ得たのであり、この流儀が講道館柔道の母体(の一つ)になったわけである。

 さて、現在に残る柔術流派を見ると、一部に打突技も多用する流儀が残っているが、大方の意見としては、これらの流儀は例外的な柔術流儀と見られているようだ。

 しかし、私見としては、これらの流儀こそが、本来の柔術の姿をより濃厚に残している流儀と思うのであり、現在では多数派を占める他の柔術流派の方が、マイルドに変化してしまった柔術、と考えている。

 だから、本稿で古伝柔術を捉える場合には、そのようなマイルドな柔術ではなく、もっと過激な全盛期の柔術というのをイメージしてもらいたいと思う。

(以上の江戸期における柔術の変貌については、もう一つ別の根拠がある。

 拙著「武術の平安」の「コラム-2」にも記したことだが、私は古伝首里手系の型(古伝の首里手及び泊手の型)を18種類復元している。つまり、それら18種の型については、「真の分解」も分かっている、ということだ。

 すると、分解に登場する技を比較することで、それぞれの型がどういう順番で誕生したのか、ということが分かるのであり、結局、一番最初に誕生した型はどれか、ということも分かるのだ。

 そうした古伝空手の最初期の型の分解を見ると、それはまさに、現在の柔術をより野生的なレベルに戻したような体術なのである。

 先述の如く、古伝空手は中国拳法とさして関係はなく、むしろ柔術との関連性の方がはるかに濃厚なのだが、もっと言えば、古伝首里手の初期の姿こそが、柔術最盛期の姿とよく似ていると言えるのだ。

 その後、柔術は、上記の如く、段々マイルドになっていったわけだが、古伝空手の方は、単独型(単独形)による稽古法を採用したために、「安全性の確保(危険性の除去)」への配慮は不要だったことから、危険な技を色濃く残したまま、明治初期まで伝承されたのである。)

取手技には安定性がある

 さて、以上のように解説しても、近代空手の伝授を受けた人達以外は、武術としての体術のB方式の具体的な戦い方が、今一つイメージ出来ないと思う。古伝空手は知らないし、柔術にしても、もっと過激な柔術をイメージしてくれと言われても、どうイメージしてよいか分かりにくいと思うからだ。

 そこで、その場合には、グレイシー柔術を想起してもらえれば、ある程度の役には立つと思う。

 グレイシー柔術は有名なので、その試合を一度くらいは見ているはずだ。

 確かに、グレイシー柔術は、敵にタックルし馬乗りになるわけで、具体的な技術としては柔術ではない。

 こうした寝技系統の技というのは、柔道で初めて本格的に採用された技術なのであって、日本の武術では、伝統的に、(寝技のような)一対一でしか使えない技術は「決闘専用の技術」として忌避されてきたし、仮にそのような技術が採用されるような事があったとしても、決して主流にはなり得なかった。

 しかし、グレイシー柔術の戦闘方式は、B方式であることは間違いない。

 毎度ワン・パターンのような戦いをするために、興行的には今一つだが、かなり安定的に勝利を収める体術として、一部の格闘技ファンには人気がある。

 こうした安定性は、やはり取手技に由来しているのだ。

 打突技のみの場合には、先述のとおり「不確定要素」が介入する余地が多々あるのだが、取手技というのは、打突技よりも技巧性が高いために、技量において格上の者は、格下の者にそう簡単には負けないからだ。

 このことは、レスリングとボクシングを比較してみれば分かりやすい。

 レスリングでは、技量の差が少しでもあれば、格上の者がまず確実に格下を制する。よって、才能があり厳しい練習に励む選手の中から、時に、長年にわたってチャンピオンの座を維持する者も登場してくるわけだ。

 これに対し、ボクシングでは、技量の差がある程度あっても、格下の者が格上にラッキー・パンチで勝つ場合もしばしばある。つまり、偶然に左右される割合が結構高い格技なのであり、よって、才能があっても、長年にわたりチャンピオンの座を維持するというのは極めて困難になるのだ。

 * 個人同士の身体的な争いというのは、人類誕生のあたりからあったであろうが、それが単純にそのまま発展して「武術」になったわけではない。

 やはり、武術と呼ばれる水準にまで闘争技術が発展するには、集団としての「戦(いくさ)」が必要だったのである。戦を経て、初めて、闘争技術も飛躍的に向上したわけだ。

 従って、武術というのは、それ自体は確かに個人同士の争いに勝つための技術ではあっても、同時に、集団的な闘争でも使用可能な技術でなければならなかったのである。

 だから、武術の世界では、伝統的に、「決闘専用の技術」というのは忌避されてきたのだ。(つまり、「一対一の決闘ならば有利だが、敵が複数いたら基本的に使えない技術」は、武術とは認めがたかった、ということだ。)

 ** 先述の如く、古伝空手は、柔術最盛期のような技の危険度を保持したまま、明治初期まで伝承されてきたわけだが、では、その古伝空手を元にして糸洲安恒によって創られた近代空手の危険度は、一体どの程度と評価すべきなのであろうか?

 先に、柔術は、江戸時代を通じてマイルド化されて行ったと述べたが、仮に、江戸時代を前期・中期・後期の三段階に大雑把に分けたとすると、近代空手は、江戸中期あたりの柔術の危険度とほぼ同じくらい、と考えて良いであろう。

 また、近代空手はどのような体術なのか、という問いに対しては、誤解を恐れずにあえて大胆に言うならば、「現代空手と合気系柔術を融合したような体術」とでも表現すれば、まぁ、当たらずと言えども遠からず、といった所であろう。

 いずれにせよ、以上のことは、拙著「武術の平安」を読み、平安の「真の分解(勝負形)」を理解すれば、実技的にも十分納得がいくことと思う。

 *** 現代空手家を大別すると、①取手系の武術・武道を経験したことがある者と②そうでない者とに分けることが出来る。

 ①に該当する者は、自分自身の経験から、取手技の効果に対する一定の「実感」があるために、武術空手は「打突技×取手技」の体術である、と説明した場合にも、それなりの理解を示す傾向が強い。

 それに対し、②のように現代空手しか経験したことが無い者の場合には、取手技の効果に対する「実感」というものがほぼゼロであるために、武術空手は「打突技×取手技」の体術である、と説明しても、どうもピンと来ないようだ。

 それだけではない。

 ②のように現代空手しか経験したことが無い者が、例えば型の分解を考えたとすると、取手技の経験がほとんど無いために、取手技の一般原則などを完全に無視した珍妙かつ強引な技(?)を考え出してしまう傾向が極めて強い。つまり、およそ武術の技としてマトモに機能しないような分解を考え出しては、それを正しいと自己満足してしまうわけだ。

 そして、同じく②に該当する者がそうした型分解を見た場合も、やはり同様に、取手技の経験がほとんど無いために、そのような珍妙かつ強引な技を正しいと誤解してしまうのである。

 ②に該当する者の問題点は、他にもある。

 少数ではあるが、②に該当する者の中には、取手技に対して強い拒絶反応を示す人達もいる。

 まず、自分が受身が出来ないために、取手技の内、特に投げ技に対して強い恐怖心を抱く人達がいる。

 また、単純な打突技しか稽古したことがないために、技術的により複雑な取手技の習得に関して、かなりのコンプレックスを抱いている人達もいるのだ。つまり、取手技は打突技よりも高度なために、果たして満足に身に付けることが出来るのかどうか、不安を抱くわけである。

 やはり、現代空手の知識・経験だけでは、武術空手を理解するのは、かなり困難な事なのかも知れない。

(=> 増補(1)- 第4回へ進む)

*** プロフィール ***

プロフィール

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 長谷川光政

 昭和33年(1958年)、東京生まれ。

 中学生(12歳)の時に剛柔流の空手を習ったのが、空手との最初の出会い。

 それ以来、首里手系の空手や、フルコン系、防具系の各流派等でも空手を学ぶ。

 しかし、いくら修行をしても、どうしても既存の空手に納得がいかず、最終的には自分一人での研究・修行を続けることとなった。

 それから十五年以上が経過した四十歳台後半に至って、遂に、失伝していた古伝空手の核心的技術である「当破(アティファ)」を発見することに成功。

 それ以降は、その発見をきっかけに、古伝空手の型に関する様々な謎も解明出来るようになった。

 また同時に、糸洲安恒の創始した近代空手の代表型である平安(やナイファンチ初段~三段)についても、その謎を解き明かすことに成功した。

 現在では、琉球の古伝棒術等の研究も一通り終了しており、新たな発見等については、漸次、この「武術空手研究帳」の「増補」等を通じて公開発表していく予定である。

 東京大学教育学部体育学健康教育学科卒。