武術空手研究帳

武術空手研究帳・増補(12)- 三つの空手の正拳突きの威力

 [ 現代空手、近代空手、古伝空手、以上三つの空手における、それぞれの「正拳突き」の威力を比較したらどうなるであろうか?

 本稿では、このテーマで論を展開してみようと思う。]

正拳突き

 良い機会なので、まず最初に「正拳突き(正拳直突き)」という技それ自体について、少し触れておこう。

 現代空手家にとっては、手による打突系の攻撃技と言えば、まずこの「正拳突き」以外はあり得ないといっても過言ではないであろう。

 何故なら、入門以来、手による打突系の攻撃技としては、ほとんど「正拳突き」の練習ばかりと言っても良い稽古状況である以上、それは当然の帰結と言える。

 そのようになったのも、本サイトの読者であればもうお分かりの通り、船越義珍が「平安二段(松涛館流では平安初段)」から現代空手を作ってしまったからなのである。

 さて、その「正拳突き」であるが、現代空手家の多く(あるいは、全員と言っても良いかも知れないが)は、古伝空手が「誕生」したあたりから「正拳突き」という技は存在した、と思っているはずだ。

 しかし、結論から言うと、この「正拳突き」という技の歴史は意外と新しいのであって、誕生は、幕末の頃、即ち、古伝空手の時代の最後のあたりのことなのである。

 ここでは詳細は省くが、簡単に述べておけば、古伝空手誕生の頃より存在した手による打突系の攻撃技は「鉄槌打ち」だったのであり、「突き技」が本格的に工夫され出したのも「唐手(とうで)佐久川」の頃なのであり、現在のような「正拳突き」の様式を決定したのは(まず間違いなく)松村宗棍なのである。

 さらに述べておくならば、「唐手(とうで)佐久川」が導入した「突き技」は、おそらくシナの拳法と同様の方式、即ち、拳をいったん正中線上に寄せてから、拳を真っ直ぐ前方に突き出す、という方式だったと思われる。

 これに対し、松村宗棍はこの方式を改め、拳を左右の腰に構えた所から最短距離で突き出す、という方式を採用したのである。この左右に拳を構えた状態から最短距離で突く、という発想は、薩摩の示現流剣術の影響を受けて生まれたと思われる。

 このように、現在では当たり前の攻撃技である「正拳突き」であるが、その誕生は、意外に新しかったのである。

 * 上記本文中に、“古伝空手誕生の頃より存在した手による打突系の攻撃技は「鉄槌打ち」だった”と述べたが、そのような結論に至る証拠としては、例えば奄美大島等での民俗学的研究の成果などもあるが、他には、古伝空手の型の「真の分解」を挙げることも出来る。

 しかし、私が既に公開した情報の中から証拠を挙げるならば、糸洲安恒が創作した「武術の平安」の「真の分解」も証拠になりうる。

 古伝空手を熟知していた糸洲は、平安シリーズの最初の型である平安初段の「真の分解」の内、一番最初の業技に登場する手による打突系の攻撃技を、「鉄槌打ち」等の打ち技のみで構成したのだ。

 この平安初段の「真の分解」の一番最初の業技というのは、その置かれている場所(つまり、一番最初に習う業技、ということ)から判断して、「入門にして奥義」という重い位置付けを与えられた業技だったわけで、それが「打ち技」のみで構成されているということは、この事もまた、古伝空手における「伝統的」な手による打突系の攻撃技は(「正拳突き」ではなく)「鉄槌打ち」であったことを示している重要な証拠と言えるのである。

 この他にも、「武術の平安」の「真の分解」には、「鉄槌打ち」を重要視している証拠が色々とあるのだが、その具体例については、拙著「武術の平安」を参照願いたい。

 (さらに、糸州が「武術の平安」よりも先に創作した「ナイファンチ二段・三段」の「真の分解」にも、「鉄槌打ち」を重要視している証拠が極めて明確に示されている。この点についても、拙著「ナイファンチ二段・三段の秘密」に詳述してあるので、興味のある方はそちらを参照願いたい。)

 ** 古伝空手(古伝首里手)における「正拳突き」の採用が幕末の頃であったことの証拠の一つとして、現代に残る首里手系と泊手系のナイファンチの違いを挙げることが出来る。

 首里手系のナイファンチでいわゆる「カギ突き」や「双手突き」の動作になっている場面が、泊手系のナイファンチでは、開手での(取手系の)動作になっており、正拳を使った突きの動作にはなっていないのである。

 これは、幕末のあたりで、元々開手の動作であったものが、古伝首里手では「正拳突き」の動作に変えられたことを示しているわけだ。

ボクシングの突き

 良い機会なので、ここで次の論点にも触れておくことにしよう。

 現代空手の修行者であれば、一度は次のような疑問を感じたはずである。

 即ち、「左右の腰の所に拳を構えてそこから突き出す空手の突きよりも、アゴの前あたりに拳を構えてそこから突き出すボクシングの突きの方が、合理的なのではないか?」という疑問である。

 (そして、大抵の人は、そうした疑問を持ちつつも、その内うやむやにしてしまうのではあるが・・・)

 さて、上記の疑問に対する正解は、というと、現代空手の戦い方(即ち「G方式」の戦い方)の場合には、その疑問は至って正当なのであり、ボクシング方式の方が、確かに合理的なのだ。(「G方式」等の意味については、増補(1)を参照のこと。)

 理由を述べよう。(以下では、議論を単純化するために、戦う両者の身長はほぼ同じ、と想定しておく。)

 ボクシングでは、ダッキングなどという技術がある関係上、頭部の「高さ」はある程度変化しながら試合が進行していくが、それでも、試合の最中に極めてダイナミックに頭部の「高さ」が変化するわけではない。また、現代空手の試合では、ボクシング以上に、頭部はほぼ同じ「高さ」で動いているのである。

 そして、突き技で狙うべき一番のターゲットは、ボクシングでも、(寸止めや防具)空手の場合でも、やはり頭部ということになる。

 すると、簡単に言ってしまえば、試合相手の一番のターゲットである頭部は、(特に現代空手の場合には)ほぼ同一の平面上で動き回っていることになるわけだ。

 そうであれば、我の拳を相手の頭部とほぼ同じ高さに保ったままで突き技を行えば、我の拳と、相手の頭部は、基本的に同じ平面上での(つまり2D(2次元)での)コンタクトになるわけで、その分、当たる確率が高まるわけである。

 それに対し、我の拳を左右の腰の所に構え、そこから突き出すとなると、上記の平面上の動きに加えて、さらに、我の腰と相手の頭部との高低差が加わることで、相手の頭部を立体空間の中で(つまり3D(3次元)で)捉えなければならず、2Dの場合と比較し、難度が格段に高まるわけである。

 現代空手(の特に自由組手)を実践していると、以上のことに(無意識的にではあるが)気が付くために、誰でも一度は上記のような疑問を感じるわけだ。

 結局のところ、「G方式」で戦う現代空手の場合には、ボクシング風に拳を構えた方が、はるかに合理的なのである。

 しかし、現代空手の中で、拳をボクシング風に構える流派・団体は、やはり少数派なのであって、理由は、そうしてしまうと、空手が空手でなくなってしまうからなのである。

 従って、あくまで空手の一流派を名乗る団体では、拳は左右の腰(脇)の所に構えるのを基本とするのであり、逆に、合理性を優先し拳をボクシング風に構えることを基本に採用した団体は、結局は、空手の看板を降ろす方向へと舵を切ることになってしまうわけだ。

 * 例えば首里手系の現代空手の団体であっても、拳を本来の腰の高さではなく、胸の高さに構える方式を採用している所などもあるようだが、そのように引き手の高さを変更してしまう理由も、もうお分かりであろう。

 そのような団体の指導者は、上記本文に記した疑問を強く感じているわけである。

 よって、本音で言えば、拳をアゴの高さあたりに構えたいわけだ。

 しかし、それでは、空手の看板を下ろさなければならなくなる。

 そこで、あくまで空手の範疇を維持しながらも、少しでも合理的に突き技を発するために、引き手の高さを出来るだけ高くしているわけである。

 ** 以上を理解した読者は、今度は、「では何故、古伝空手(古伝首里手)では、拳を左右の腰の所に構えたのか?」という疑問を抱くであろう。

 しかし、その答えは誠に簡単なのであって、そもそも、「古伝空手は、戦闘方式が異なっていた」のである。

 つまり、古伝空手は(「G方式」ではなく)「B方式」で戦う体術だったのであり、よって、左右の腰の所に拳を構えても何ら問題はなく、否むしろ、その方が合理的ですらあったのだ。

 古伝空手で左右の腰の所に拳を構えるのには、主に二つの理由があったのだが、その内の一つは、古伝空手に特有の理由なので伏せさせてもらうが、もう一つの理由については、近代空手である「武術の平安」にしっかりと具体的に受け継がれているので、興味のある方は拙著「武術の平安」を参照してもらいたいと思う。そうすれば、おそらく生まれて初めて「腰の高さから突き技を発すること」の真の理由が判明し、ハタと膝を打って納得されることと確信する。

現代空手の正拳突き

 では本題である、三つの空手における「正拳突き」の威力に論を進めよう。

 まずは現代空手であるが、ご存知のように、現代空手には特別な「発力法」が無いために、三つの空手の中では最も弱い「正拳突き」になる。

 だから、現代空手において、本格的に強い「正拳突き」を行いたければ、別途ウエイト・トレーニングなどを行い、腕そのものを太くすることで腕力を増強するしか方法はないわけだ。(現代空手の突きの威力を生み出す役割を担っている筋肉は、何も腕の筋肉だけではなく、正しく言えば全身の筋肉なのではあるが、最も「直接的」に突きの威力そのものを生み出しているのは、やはり腕の筋肉なのである。)

 この点で、では「その場突き」や「巻き藁突き」を行うことで突きの威力は向上しないのか?という疑問もあろうかと思う。

 では、順次検討してみよう。

 まず、「その場突き」に関して言えば、それは主に「集中力」や「正確さ」を磨く鍛錬なのであって、「突き技」の根源的な威力(パワー)そのものを向上させる稽古法ではない、ということに気付くべきである。

 有体に言ってしまえば、空気相手にいくら「突き技」を行っても、「突き技」の根源的な威力(パワー)そのものはほとんど向上しない、ということなのだ。

 この点で、現代空手に入門し、2~3年で黒帯を取り、一寸板などを「突き技」で割れるようになると、「その場突き」を続けてきたことで突き技の根源的な威力(パワー)が向上したように「錯覚」するようだが、残念ながら、別途腕のウエイト・トレーニングなどをしていない以上は、突き技の根源的な威力(パワー)そのものは、入門時よりさして変わってはいないのである。

 このことは、いい加減な当て推量で述べているのではないのであって、ちゃんと実験をした上で、結論付けていることなのである。

 今からおよそ三十数年以上前、私が二十台の半ば頃のことであるが、私は、熟慮の末に上記の結論に到達したのである。即ち、「その場突き」だけでは、突き技の根源的な威力(パワー)そのものはほとんど向上せず、逆に、普通の成人男子であれば、空手道場に入門する以前に、既に試し割り用の一寸板一枚程度を割る程の腕の根源的な威力(パワー)は持っている、と。

 そこで、私より少し若くてやんちゃな空手未経験の若者を5名ほど集めて、一寸板の試し割りにトライさせたのである。(ちなみにだが、試し割り用の「五分板」などは親指一本で割れる程モロいのであって、そんなものが割れてもさしたる実験にはならない。だから、この手の実験には、最低でも「一寸板」を使う必要があるのだ。)

 但し、空手の黒帯とは、少し違いをつけた。つまり、空手の黒帯ともなれば、正拳は正しく握れるであろうし、また、拳頭を板に当てることも出来、さらに、その場合でも拳頭にさし たる痛みは感じないであろう。

 この実験の目的は、普通の成人男子であれば、一寸板一枚程度を割る程の「腕の根源的な威力(パワー)」は既に持っていることを確認することであったのだから、その他の点では優遇措置を取ったわけだ。

 つまり、拳にタオルを巻くか、あるいは、板の表面にタオルを置くか、のいずれかを許したのだ。両方許しても良かったのだが、それだと、衝撃がかなり吸収されてしまい、かえって板が割れにくくなることをおそれたのである。

 さて、その実験の結果であるが、5名全員が、つまり、小柄な者も大柄な者も全員が、一寸板の試し割りに成功した。つまり、私の仮説は正しかったわけで、普通の成人男子であれば、空手道場に入門する以前に、既に試し割り用の一寸板一枚程度を割る程の腕の根源的な威力(パワー)は持っているのである!

 結局、現代空手の道場に入門して「その場突き」を続けた結果得られるものとは、「正拳を正しく握った上で、突きの動作がそれなりのスピードでそれなりに正確に行えるようになる」ことくらいなのである。

 (拳頭が対象に当たったときに、さしたる痛みを感じないようになるためには、そして、手首が曲がらないためには、別途、巻き藁やサンドバック等での鍛錬が必要になる。)

 * 上記のように、「その場突き」を始めとする「その場基本」というのは、「正確さ」や「力の集中」の仕方を養うことに重点が置かれた稽古法なのであって、決して「突き技」等の根源的な威力(パワー)それ自体を向上させる稽古法ではない、という事を良く理解しておく必要がある。

 この点を誤解している現代空手家は結構多いのだ。つまり、「その場突き」を行えば、突き技の根源的な威力(パワー)自体がアップする、と思っているのである。(だから、そういう現代空手家は、「正確さ」などは無視しても、ただ回数多く「その場突き」を繰り返せば、それだけでパワーが向上する、と大いに錯覚しているわけだ。)

 しかし残念ながら、そんな事はないのであって、「その場突き」では、パワーそのものはさして向上はしないのだが、その限られたパワーを、如何に「正確に」かつ「集中して」対象に叩き込むか、という技術を習得しているのである。

 ここの所を間違えてはいけないのだ。

 だから、「その場突き」では、「正確に」突く、ということが極めて重要になってくるのだが、現代空手家の内、「正確な」正拳突きを行える者は、私が数十年前に調査した範囲内での結論ではあるが、全体の一割にも満たないのである。つまり、多くの道場で、「その場突き」の稽古が、ほとんど本来の意味を成していないわけだ。

 これがウソだと思うなら、壁に一円玉程度の印を付けて、肘が伸びて突き技が終わったときに、その印の1cm手前の空間に(例えば中指の)拳頭が来るように、何度も「全力で」正拳突きを行ってみるといい。

 かなりの数の読者が、突くたびごとに、拳頭の位置が、印の場所から2cm、3cm、5cmと、横や上下にずれるのが分かるはずだ。

 そのくらい不正確なのである。

巻き藁突き

 では次に、「巻き藁突き」についてである。

 結論から言っておくと、「巻き藁突き」を行っても、通常は、「突き技」の根源的な威力(パワー)そのものを向上させることはあまり期待出来ない、ということだ。

 特に、硬い「巻き藁」を叩いている場合には、まず威力(パワー)の向上は望み得ない。

 ここで、「巻き藁」とはそもそも何かと考えてみると、これは古伝空手の時代に考案された鍛錬具なのである。

 そして、古伝空手の時代には、「当破」という「発力法」があったわけだ。つまり、技の威力を増強させるための「当破」という技術が、技とは別に存在したのである。だから、殊更に技の威力を増強させる鍛錬具などは必要ではなかったのだ。

 そういう時代に考案された鍛錬具が「巻き藁」なのであるから、「巻き藁」というのは、そもそもからして「技の根源的な威力(パワー)そのものを向上させるための鍛錬具」ではない、ということが分かるのである。

 では、改めて「巻き藁」とは何か、と言えば、それは基本的に言って「部位鍛錬の道具」にすぎないのだ。

 「部位鍛錬」とは、「突き技」で言えば、直接には「拳頭」を鍛えることであり、副次的には「手首」を強化することなのである。

 だから、「巻き藁突き」というのは、基本的に「拳頭」や「手首」を鍛えるための鍛錬法なのであって、それ以上でも以下でもないわけだ。

 * 実際、連日「巻き藁」を叩き続けても、技の威力がどんどん向上していくわけではないことは、実践してみれば誰でも実感として理解出来ると思う。

 特に硬い「巻き藁」の場合はなおさらであり、常に全力の例えば7割程度の力で叩いているに過ぎないわけだ。

 そういう鍛錬を続けて行っても、技の威力が向上するわけではないのである。

 ところで、「巻き藁突き」に関してついでながら述べておくが、道場によっては、指導者や黒帯も、拳頭ではなく、拳面(人差し指と中指の第一関節と第二関節の間)でベッタリと突いているようだが、これでは、拳頭の鍛錬には全くならないし、また、手首も非常に楽なために、手首の鍛錬にも全くならないのであって、「巻き藁」を突く意味がまるで無いことになってしまう。

 注意してもらいたい、と思う。

近代空手の正拳突き

 では次に、近代空手の正拳突きについて述べよう。

 近代空手には「倒木法(倒地法)」があるために、現代空手とは比較にならないくらいの威力が出せる。

 ところで、近代空手は「倒木法(倒地法)」の空手、などと記すと、“体を倒しながら技を出すだけのことだろう”と考える人がほとんどだと思う。

 つまり、体を倒しながら現代空手の突き技を行えば、それが即ち近代空手の「倒木法(倒地法)」の突き技に他ならない、と単純に考えているはずだ。

 確かに、大雑把に言うならば、それも間違いではない。

 しかし、正確に述べるとすれば、やはりそれは間違いなのである。

 近代空手の「倒木法(倒地法)」の突き技とは、そんな低レベルの技術ではないからだ。

 つまり、本物の近代空手においては、ただ単に体を倒すだけではなく、それに加えて「糸洲安恒が考案したある技術」を使うのである。

 ただ単に体を倒しながら現代空手の突きを行うだけならば、それは、現代空手の突きにプラス・アルファ程度の威力しか加わらないのだが、それに合わせて「糸洲安恒が考案したある技術」を巧みに調合すると、ただ単に体を倒すだけの場合と比較して、信じられないくらいに格段に技の威力がアップするのである(これは、一度でも自ら体験すれば、その威力の大きさに驚くことであろう)。

 そして、明確に断言しておくが、その水準の近代空手の突き技は、古伝空手の「当破」の突きと、ほとんど同じ水準の威力になるのだ!(これは、突き終わった時の「肘」に応える程度を比較することで、両者がほぼ同じ威力であることがはっきりと分かるのである。)

 結局の所、古伝空手では「当破」の習得に最低でも十数年以上は掛かるのだが、近代空手で上記の強烈な突き技を行おうとする場合は、例えば現代空手の経験が既にあり「追い順突き」が普通に出来る者であれば、やろうと思えば直ぐにでも一応は出来るのであり、さらに、無意識的にもしっかりと実行出来る程度まで身に付ける場合でも、(日々の稽古量等によって違いはあるが)大体三年程度もすれば十分に習得可能なのであるから、やはり、糸洲考案の近代空手の技術は大したものだ、と評価せざるを得ないのである。

 * 近代空手には「倒木法(倒地法)」があるのだから、古伝空手と同様に、殊更に「技の根源的な威力(パワー)そのものを向上させるための鍛錬具」などは必要としない。

 威力向上のためには、ただひたすらに「型(形)」(「練武型」や「勝負形」中でも特に「平安二段」)を練っていれば良いのである。

 ただ、「部位鍛錬」自体はやはり必要なのであるから、その点で「巻き藁」の稽古も行った方が良いが、その際は「倒木法(倒地法)」や「糸洲安恒が考案したある技術」は使わない方が良い。何故なら、上半身を倒すだけの「倒木法(倒地法)」の技術程度なら、慣れてくれば使用し得るが、「糸洲安恒が考案したある技術」を加えた「倒木法(倒地法)」の技術を本格的に使って「巻き藁」を突いたりなどすれば、確実に手を傷めてしまうからだ。

 ** 当サイトでは、近代空手の発力原理としては、通常、「倒木法(倒地法)」のみを取り上げているが、これは、「倒木法(倒地法)」こそが最も重要な近代空手の発力原理だからである。

 しかし、近代空手には、「倒木法(倒地法)」以外にも細かな発力原理が複数あるのであって、拙著「武術の平安」には、その全てが詳細に解説してある。

 さて、その細かな発力原理についてだが、その内の一つに「腕の捻り」というのがある。

 この「腕の捻り」という技術は、現代空手でも採用されているために読者も身に付けていると思うが、この技術は、そもそも「加速度運動」系の動作に馴染む技術なのであり、「等速度運動」である古伝空手には基本的に無縁な技術なのだ。

 それが証拠に、古伝の「ナイファンチ」では、「突き」の動作のあたりを除けば、「腕の捻り」は基本的に行わないのである。

 これに対し、近代空手の「ナイファンチ初段」では、各動作ごとに「腕の捻り」の技術がしっかりと使われている。

 これは、近代空手のような「加速度運動」系の技術においては「腕の捻り」がとても重要になる、と糸洲安恒が考えたために、意識的にそのように「ナイファンチ初段」を創作したからなのである。

 (なお、上記の如く、古伝空手でも「突き」の動作においては腕を「捻る」のだが、それでもやはり、近代空手や現代空手とは「捻り方」が異なるのだ。

 こうした細かい事についても、拙著「武術の平安」では逐一詳細に解説してあるので、興味のある方は是非そちらを参照願いたい。)

古伝空手の正拳突き

 最後に、古伝空手の正拳突きについて述べる。

 古伝空手については、公開出来る情報には限度があるため、ここでは簡単に述べるにとどめるが、まず、「当破」の突きの威力としては、近代空手における最高の突きの威力とほぼ同じ、と言える。

 ただ、「当破」の突きは、「(高速の)等速度運動」の突きなので、突きの動作のどこで敵の体に当たっても威力は同じ、という特徴がある。(これに対して、近代空手の突きは「加速度運動」の突きなので、その動作の最後の部分で威力が最大になる。)

 結局、古伝空手と近代空手の「正拳突き」については、もちろん違いはあるものの、突き腕が伸びきる場面での威力については、ほば同じということであり、両者は共に現代空手の「正拳突き」の威力を遥かに上回る、と言えよう。

 * いわゆる中国拳法には「寸頸」と呼ばれる技術があるが、中国拳法も近代空手と同様に「加速度運動」系の突きなので、そうした「寸頸」の突きというのも、突きの動作の「最後の部分」を使って行われることになる。

 しかし、古伝空手の場合には、突きの動作のどの部分でも「寸頸」が可能となるわけで、この点に「等速度運動」としての大きな違いがあるのだ。

 ** 公開するには時期尚早なため今回は省略したが、実は、古伝空手の「当破」の突き技(打突技)にはもう一つ重要な秘密があるのだ。

 これは「当破」ならではの効果なので、古伝空手にしか成しえないことなのだが、驚いたことに、糸洲安恒は、この点でも古伝空手に少しでも近づくようにと近代空手の打突技を整えていたのである。

 古伝空手の型の「真の分解」の中に登場するある「技術」を巧みに使うことで、「当破」の打突技とほぼ同様な効果が得られるように、「武術の平安」の「真の分解」の打突技を創作していたのだ。

 その「技術」の具体的な詳細については拙著「武術の平安」を参照願いたいが、そういう「技術」を駆使することで、それをしない場合と比べて、格段に打突技の威力がアップするわけで、糸洲安恒の研究・工夫の深さと志の高さをつくづくと思い知る次第なのである。

武術空手研究帳・増補(12) - 完 (記:平成二十八年七月)

(=> 増補(13)「これが本物の山嵐だ(前編)」へ進む)

*** プロフィール ***

プロフィール

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 長谷川光政

 昭和33年(1958年)、東京生まれ。

 中学生(12歳)の時に剛柔流の空手を習ったのが、空手との最初の出会い。

 それ以来、首里手系の空手や、フルコン系、防具系の各流派等でも空手を学ぶ。

 しかし、いくら修行をしても、どうしても既存の空手に納得がいかず、最終的には自分一人での研究・修行を続けることとなった。

 それから十五年以上が経過した四十歳台後半に至って、遂に、失伝していた古伝空手の核心的技術である「当破(アティファ)」を発見することに成功。

 それ以降は、その発見をきっかけに、古伝空手の型に関する様々な謎も解明出来るようになった。

 また同時に、糸洲安恒の創始した近代空手の代表型である平安(やナイファンチ初段~三段)についても、その謎を解き明かすことに成功した。

 現在では、琉球の古伝棒術等の研究も一通り終了しており、新たな発見等については、漸次、この「武術空手研究帳」の「増補」等を通じて公開発表していく予定である。

 東京大学教育学部体育学健康教育学科卒。