武術空手研究帳

武術空手研究帳・増補(15)-「武術の平安」と「体育の平安」

 [「武術の平安」と「体育の平安」は、特に「動作」や「速さ」の点でどのように異なるのであろうか?

 現代空手家の諸君は「体育の平安」しか知らないために、「武術の平安」の「練武型」のダイナミックな動作については、それがどのようなものか見当も付かないと思われる。

 そこで本稿では、平安の「練武型」の中から二つの場面を採り上げて、両者の動きの違いについて、出来るだけ具体的に見てみることにしよう。]

現代空手の型は遅い

 例えば、松涛館七つの型に含まれるある型だが、現代空手の指導者等がその型を演じる動画を見ると、第1挙動が開始されて最終挙動が終了するまでに、約45~50秒ほどかかっている。

 それに対し、私がその型を行うと、約15秒ほどで終了してしまうのだ。現代空手に比べて約3倍のスピード、ということになる。

 こうした現象が起こる主な原因は、二つある。

 一番大きな原因は、現代空手では型の動作に「緩急」をつけるわけだが、その内の「緩」の部分が極めて遅いのだ。本来は敵と戦っているはずなのだが、現在では「見せる(魅せる)」型になってしまっている関係で、歌舞伎でいうところの「ミエを切る」ような見せ場を作ったり等しているために、とにかく遅くなってしまうわけだ。

 もう一つの原因としては、やはり動作そのものも遅いのである。

 確かに、突きや蹴りの手足の動作それ自体は、(重みがあるかどうかは別として)それなりに速いことは速いのだが、「運足」を基調とする身体操作全般が、「体育の平安」に由来する動き方であるために、やはり武術空手と比べると、どうしても緩慢になってしまうのである。

 そこで、本稿では、糸洲安恒が古伝空手を元に創作した「武術の平安」の「練武型」の動作を取り上げて、それが、現代空手に残る「平安」即ち「体育の平安」の動きとどれだけ違うのか、両者を比較してみたいと思う。

 以下では、二つの場面、即ち、平安二段(松涛館流では平安初段)の第6挙動と、平安三段の冒頭3挙動を例に採り、比較論考してみたい。

 (なお、以下の型解説における各動作は、書道に例えるならば「楷書」のように動作を捉えて解説していく。実際の現代空手の型演武においては、「楷書」と言うよりは、もう少し「行書」的な動作として行われてはいるが、動作自体を明確にするために、あえて「楷書」的な解説を行うので、その点ご了承願いたい。)

平安二段の第6挙動

 現代空手(松涛館流)の「平安二段(松涛館流では平安初段)」の「第6挙動」というのは、「第5挙動」終了のポーズ、即ち、演武線右方に向かって左足前の左前屈立ちになり左正拳突きが終了したポーズから始まり、正面方向に向いた左前屈立ちになりながら左下段払いを行う動作なのであるが、その挙動の「運足」は、「体育の平安」と同様な方式の「運足」、即ち、非武術的な「体育的静歩行」で行われており、まずは、体の重心を後足である右足上に運びながら、左足を一度右足に近づけ、それから次に、再度左足を正面方向に踏み出して左前屈立ちになる、という二段階で移動する方式になっている。

 はっきり言って、かなりゆっくりとした「運足」なのである。

 以上に対し、「武術の平安」の「平安二段」の「第6挙動」を見てみよう。

 まず開始のポーズ(即ち「第5挙動」終了のポーズ)は、練武線右方に向いて、左足前の左「前傾前屈立ち」で、左追い順突きが終了した状態である。

 ここに「前傾前屈立ち」という立ち方が登場したが、これは「武術の平安」に登場する三種類の前屈立ちの中では最も標準的な前屈立ちで、左「前傾前屈立ち」を例に取り簡単に説明すれば、両足踵は一直線上に揃え、その前後の足幅は肩幅の約二倍弱、前足の左足踵のほぼ真上に頭部が来るように上体を前傾させ(左スネも少し前傾させ)た立ち方、のことを言う。

(このように「前傾前屈立ち」などという現代空手には存在しない立ち方について記すと、早速、捏造ダー、妄想ダー、とバカ丸出しで叫ぶ輩が出て来そうだが、「倒木法(倒地法)」を原理とする「武術の平安」では、「前傾した立ち方」は理論的に言って「必然」なのであって、実際にも、後屈立ちについては、「前傾後屈立ち」とでも呼ぶべき前傾した立ち方が、糸洲の近代空手の弟子の系統で今でも現実に保存されているのだ。

 よって、ここで新たに究明すべきは、「前傾前屈立ち」の具体的な立ち方・傾き加減についてなのである。

 この点についても、私自身の体を実験台にして、「武術の平安」の五つの「練武型」や四つの「真の分解(勝負形)」の全ての動作・技を克明に調査した上で、上記の如く「前傾前屈立ち」の詳細を復元したのであって、決して適当に“まぁ、このように定めておこう”などと決めたわけではないのである。

 いずれにせよ、詳細については、拙著「武術の平安」を読んでもらえれば、了解されるはずだ。)

 さて、「第6挙動」である。

 上記のようなポーズから、右足踵を軸にして、一気に、かつ、左足を最短距離で移動させて、正面を向いた左前傾前屈立ちになり、同時に、左下段払いを行うのが、「武術の平安」の「平安二段」の「第6挙動」なのである。

 ここで注意して欲しいのは、この挙動は、「一気に」かつ「左足を最短距離で移動させて」行わねばならない、ということだ。

 そうしなければ、平安二段の最重要な鍛錬項目である“ダイナミックで素早い「動歩行」の運足”にはならないからだ。

 (もっとも、「武術の平安」の「平安二段」の「第6挙動」について、上記の如くに解説をされても、現代空手しか知らない読者にとっては、一体どのように身体を操作したら良いのか、皆目見当も付かないはずだ。

 だが、そのやり方についてのネット上での公開についてはご容赦いただきたい。

 上記の具体的な身体操作法については、拙著「武術の平安」に非常に詳しく公開・解説してあるので、そちらを参照してもらいたい。)

 * ここで一つだけ注意しておくが、武術の運足で絶対にやってはいけないことを挙げておく。

 それは、「床を蹴って移動する」という歩行の仕方である。

 つまり、「移動したい方向とは逆の方向に向って床を(水平方向に)蹴ることで、その反動で移動したい方向に身体を進める」という歩行のことなのだ。

 こうした歩行の仕方は、日常生活では頻繁に見られるごく普通の平凡な歩行ではあるが、武術の戦いの最中、特に間合が接近してきてもう直ぐ攻防が始まる、というような場面でこうした歩行を行うということは、「テレフォン・パンチ」ならぬ「テレフォン・運足」になってしまうからマズイのである。

 要するに、「これからそっちの方向に進むよ」ということを、逐一敵に知らせながら移動することになってしまうわけで、武術的に見て非常に悪しきことなのだ。

 現代空手の組手等では、この「床を(水平方向に)蹴って移動する」という方式が頻繁に採用されているわけだが、武術の運足であるべき上記の「武術の平安」の「平安二段」の「第6挙動」については、絶対に「床を(水平方向に)蹴って移動する」という方式は採ってはならないことに注意願いたい。

「体育の平安」の平安三段の冒頭部

 では今度は、読者にとっては良くご存知だとは思うが、まずは、「体育の平安」の三段について、その冒頭部を簡略に解説してみよう。

 ここでも、松涛館流の動作を取り上げておく。

 用意
 用意は、いわゆる「自然体(八字立ち)」で構える。

 1.左内受け
 左方に振り向きながら、左足を少し左方に進めて左後屈立ちになりながら、二挙動の左内受けを行う。

 2-1.右内受け+左下段払い(前半)
 右足を左足の横に進めて左方に顔を向けた閉足立ちになりながら、まずは、左拳は右耳の近くに、右拳は左腰のあたりに、それぞれ運ぶ。

 2-2.右内受け+左下段払い(後半)
 閉足立ちのまま、右拳で内受け、左拳で下段払いを同時に行う。なお、この動作は、下段払いを行う腕(この場合は左腕)が内側(手前)を通るように、両前腕を胸の前方で交差させるように行う。

 3-1.左内受け+右下段払い(前半)
 閉足立ちのまま、まずは、右拳は左耳の近くに、左拳は右腰のあたりに、それぞれ運ぶ。

 3-2.左内受け+右下段払い(後半)
 閉足立ちのまま、左拳で内受け、右拳で下段払いを同時に行う。この場合も、下段払いを行う腕(つまり右腕)が内側(手前)を通るように、両前腕を胸の前方で交差させるように行うこと。

「武術の平安」の「練武型」の平安三段の冒頭部

 さて、「武術の平安」では、“糸洲安恒が考案した身体操作に関わる重要な技術”が二種類あり、前述の「平安二段」の「第6挙動」ではその内の一つを、この「平安三段」の第1~3挙動ではその両方の技術を使うのであるが、それらの技術をネット上に公開するわけにはいかないので、今回はそれらの技術については省略又は伏字にした形での解説になる。それでも、「体育の平安」との違いは、一通り理解出来ると思う。(それらの技術もちゃんと使った本来の「武術の平安」の「練武型」の動作については拙著「武術の平安」を参照してもらいたい。)

 では、解説を始めよう。

 用意
 用意は、自然体(八字立ち)ではなく、練武線の開始地点に両足踵を揃えて、閉足立ちになる。この時、身体は真っ直ぐ垂直に保ち、重心は安定させること。
 なお、両手は、正拳(手甲側上向き)にして、体の前方で肩幅に広げておく。また、両腕は、肘を少し曲げて、胴体に対して45度の角度にすること。(注意:用意の姿勢は、左右対称であること。)

 1.左内受け(半身)
 練武線左方に振り向きながら(右足踵を軸に)左足を左方に進め、左前傾後屈立ちになる。この間の左右の腕の動作は、右拳は右腰に引き手に取り、同時に、左拳は反時計回りに上げて一挙動の内受けをする。なお、内受けが終わった時、左拳は、肩の高さで、左肩より外に出てはならない。また、左肘は鋭角にすること。

 * この左内受けの時の左腕の動作を細かく説明すると、左肘がほぼ水平に移動しながら、同時にその左肘を中心にして左前腕を円運動させることで、左拳は、ゆるやかな曲線を描きながら上昇していき、最後は水平方向に「払う」ような形で終わる、という動作なのである。
 なお、この左内受けが決まる時には、左脇を締めること。

 2.右内受け+左下段落し受け(正身)
 後足の右足を前足の左足の横に寄せて行きながら、一挙動の「右内受け+左下段落し受け」を行う。これは、まず右拳は、引き手の位置から、胴体の前で時計回りに半円を描くように動かして、最後は(上記の)「1.左内受け」の左腕と(左右は反対になるが)同様な形で終わる。他方、左拳は、左内受けが終わった位置から、左肘を中心に時計回りに弧を描くように落としていき、最後は左肘が伸びて終わるが、その終わった瞬間の左拳の位置は、左拳の親指が自分の正中線の正面に来るようにすること。なお、この動作は、下段落し受けを行う腕(この場合は左腕)が内側(手前)を通るように、両前腕を胸の前方で一瞬交差させるように行う。

 * 先述した「体育の平安」では、この挙動(2-1)で閉足立ちが完成し、また、両腕の動作は、「内受け+下段払い」と称されており、二挙動の動作で、両拳を捻り、しかも、主に左右の方向に拳を動かす動作になってしまっている。しかし、本来のこの挙動は、上記に解説したように、閉足立ちになる途中なのであり、また、両腕の動作は、一挙動で、両拳は捻らず、しかも、主に上下方向に拳を動かす動作なのである。

 3.左内受け+右下段落し受け(正身)
 後足の右足を前足の左足の横にさらに寄せて行き、やや前傾した閉足立ち(両膝は若干曲がっていて良い)になりながら、今度は「左内受け+右下段落し受け」を行う。(この場合、右腕は、2.の左腕の動作の左右反対の動きを行えば良い。また、左腕は、2.の左腕の動作を、ちょうどフィルムを逆回しにしたように、元に戻すような動きを行えば良い。もちろん、この場合も、下段落し受けを行う腕(つまり右腕)が内側(手前)を通るように、両前腕を胸の前方で一瞬交差させるように行うこと。)
 なお、2.と3.は、右足を一歩進める間に、一体的な動作として一気に行うこと。

 * この2.と3.における運足の仕方だが、前傾後屈立ちでの追い足の前半のように行えば良い。つまり、「◯◯◯◯」を使って、前方に倒れるようにして右足を進めるのである。但し、運足の最中、前脚の左膝の角度は変えないこと。そうすると、運足終了時に、丁度、(両膝が若干曲がった)やや前傾した閉足立ちになる。

 ** 念のために言っておくが、上記に登場した「内受け+下段落し受け」という両腕の動作は、私が発明した動作などではもちろんなく、古伝空手の時代から存在する由緒正しい動作なのである。(昔の空手に関して資料等を集めている方ならお分かりと思うが、この「内受け+下段落し受け」という両腕の動作は、古伝のナイファンチやパッサイの中に登場してくるのだ。)

「体育の平安」バージョン2

 以上で、平安三段の冒頭部について、松涛館流の「体育の平安」と、「武術の平安」の「練武型」の比較を終えたわけだが、ここで一つ注意しておきたいことがある。

 それは、上記で解説した松涛館流の平安三段は、正確には糸洲安恒が創作したオリジナルの「体育の平安」そのものではない、と言う点だ。

 ここで、「武術空手研究帳の第8回」で、次のように述べたことを思い出して欲しい。

 “さて、先ほど、本来、「平安」シリーズの「真の分解」の中には、敵の突きを受ける一挙動の内受けがあった、と書いたが、実は、「基本体系」が出来上がった後に、古伝系の型にも、また「平安」シリーズにも、「基本技」の逆輸入が始まってしまったのである。

(中略)

 先述したとおり、平安シリーズの「真の分解」には、ちゃんと突きを受ける一挙動の内受けも出てくるのであるが、基本技として二挙動の内受けが採用されてしまった以上、平安の型の全ての内受けが、二挙動の取手系の内受けになってしまったのだから、もう、どうしようもないほどの変形なのである。”

 このように、現代空手の「基本体系」が誕生した後に、全ての型の中の「内受け」は一斉に一挙動から二挙動へと変形させられてしまったのだ。

 つまり、糸洲が創作したオリジナルの「体育の平安」というのは、本来は、「武術の平安」の「練武型」の動作を元にして、「前傾姿勢」を「直立姿勢」に変え、また、「動歩行」を「体育的静歩行」に変えることで生み出されたのである。

 だから、糸洲が創作したオリジナルの「体育の平安」の三段の冒頭部というのは、本来は次のような動作だったのだ。

 用意
 用意は、いわゆる「自然体(八字立ち)」で構える。

 1.左内受け
 左方に振り向きながら、左足を少し左方に進めて左後屈立ちになりながら、一挙動の左内受けを行う。

 2.右内受け+左下段落し受け
 右足を左足の横に進めて左方に顔を向けた(直立した)閉足立ちになりながら、一挙動の「右内受け+左下段落し受け」を行う。

 3.左内受け+右下段落し受け
 (直立した)閉足立ちのまま、一挙動の「左内受け+右下段落し受け」を行う。

 以上がオリジナルの「体育の平安」の三段の冒頭部だったのであり、船越義珍が糸洲から直接に「武術の平安」と「体育の平安」の両方を学んだ時には、当然ながら上記のようなオリジナルの「体育の平安」を指導されたわけである。

 しかし、その後、船越は現代空手の「基本体系」を確立することで松涛館流空手を開始することになり、その際、型の中の「内受け」の動作は全て二挙動に変形させてしまったわけだ。(それに合わせて、「下段落し受け」の動作も、基本技で採用された二挙動の「下段払い」の動作に変更させたのである。)

 結局のところ、松涛館流で行われている「体育の平安」は、糸洲が創作したオリジナルではなく、それにさらなる変形が加わった言わば「体育の平安-バージョン2」なのだ。

 (さらに、本来の松涛館流から派生した流派や松涛館流以外の流派で採用されている平安は、本来の松涛館流の平安以上に変形が加わったものも数多くあるため、それらはさらに「体育の平安-バージョン3」とでも呼ぶべき変形型になってしまっているのが現状なのである。)

 * 上記の「用意」の立ち方についてだが、先述のとおり、近代武術空手である「武術の平安」では(古伝空手と同様に)「閉足立ち」だったのだが、オリジナルの「体育の平安」では「自然体(八字立ち)」が採用された。

 これは、糸洲安恒が子供達の身体のことを考えて決定したことなのだが、「自然体(八字立ち)」で空手の型を開始するなどという非武術的な事は、この「体育の平安」において空手史上初めて採用されたが故に、それに因んで沖縄では「自然体(八字立ち)」は「平安立ち」と呼ばれるようになったわけである。

 なお、糸洲が子供達の身体のことを考えて「用意」の立ち方を「自然体(八字立ち)」に変えた理由等については、拙著「武術の平安」に詳述してあるのでそちらを参照してもらいたい。

 (以前、ある現代空手家が雑誌上で、“「用意」の立ち方の「自然体(八字立ち)」は「前傾姿勢」で行うのが正しい”と主張していた。そうしておけば、最初の挙動で、動歩行を使い滑らかに前方へ進めるからだ。

 だがしかし、それでは“これから前方に進みますよ”と体全体で表現しているようなもので、「気配丸出し」になってしまい、いくら「体育の平安」ではあっても、さすがにマズい姿勢である。

 さらに、平安各段の第1挙動は全て「左方に左足を進める」動作になっているのであるから、体を前傾させていてもそもそも何の意味もないわけだ。

 結局のところ、「体育の平安」の「用意」の立ち方の「自然体(八字立ち)」は、「直立姿勢」が正解なのである。

 そして、そのような「直立姿勢」であっても、何の問題も無いのだ。

 「直立姿勢」の「自然体(八字立ち)」の状態から、左足を床から軽く上げて左方に少し踏み出したらどうなるか、自分自身で実際にやってみれば良い。

 そうすれば、糸洲が何を考えて「体育の平安」の「用意」の立ち方を「直立姿勢」の「自然体(八字立ち)」にしたのか、はっきりと分かるはずだ。

 そう、糸洲の創った「体育の平安」の各段も、第1挙動だけは「体育的静歩行」ではなく「動歩行」だったわけである。)

 ** 先述したように、実際の現代空手の型演武においては、「楷書」と言うよりは、もう少し「行書」的な動作として演武が行われているために、それが進んだ結果として、上述した「体育の平安-バージョン3」の中には、本来の松涛館流よりも、(一部の動作に限られるとは言え)方向としては武術的な方向へと変形した平安もあるにはある。

 例えば「平安二段(松涛館流では平安初段)」の「第6挙動」の運足は、先述のように本来の松涛館流では「体育的静歩行」である二挙動的な運足で行われていたのだが、それを、出来るだけ一挙動的に、つまり、左足を最短距離に近い軌跡で移動させるように運足を行っている流派もあるようだ。

 しかし、その実態は“左足で床を(水平方向に)蹴って移動している”わけで、武術的には失格である。

 だが、本来の「体育的静歩行」では「非常に遅い」と感じている点は、武術的に見て一応評価出来るものではある。

「武術の平安」と「体育の平安」の比較

 さて、以上を読んで、読者は如何なる感想を持ったであろうか?

 「武術の平安」と比べて、「体育の平安」が如何にのんびりとした動作か、十分に理解出来たことと思うが、ここで念のために、両者の比較を行っておこう。

 ここでは、主に実質的な「挙動数」を基準にして両者の速さを比較していくことにしよう。

 まず、平安二段の第6挙動についてだが、この動作については、「武術の平安」のそれはまさに一挙動であるのに対して、「体育の平安」のそれは実質的に二挙動と言える程に遅い動作になっているわけだ。

 結局、平安二段の第6挙動では、「武術の平安」は「体育の平安」の「約2倍」の速さということが分かると思う。

 また、平安三段の冒頭部について見てみると、「武術の平安」の「練武型」では、まず第1挙動はまさに一挙動であり、また、第2挙動と第3挙動は、解説の便宜上二つの挙動に分けてはあるものの、右足を左足の横に寄せる間に全てが行われており、実質的には一つの挙動と解しても何ら問題はない。

 これに対し、まずオリジナルの「体育の平安」では、第一挙動は「武術の平安」と同じく一挙動ではあるが、第2挙動と第3挙動は、「武術の平安」とは異なり、明らかに全体で二挙動の動作になってしまっている。

 結局、オリジナルの「体育の平安」は合計三挙動となり、合計で二挙動の「武術の平安」と比べて「約1.5倍」の長さの時間が掛かってしまうことになる。

 そしてこれが、松涛館流の平安である「体育の平安-バージョン2」になると、まず第1挙動自体が二挙動である。

 さらに、第2第3挙動全体については、これを「楷書」的に見た場合は四つの挙動になってしまっている。もちろん、先述のとおり、実際の現代空手の型演武においては、「楷書」と言うよりは、もう少し「行書」的な動作として行われているために、第2第3挙動全体は、現実には完全な四挙動になるわけではない。しかし、それでもオリジナルの「体育の平安」の二挙動の動作よりは確実に時間が掛かっているわけで、結局のところ、第2第3挙動全体は、どう評価しても「二挙動分以上」の動作であることは確かである。

 以上から言えることは、「体育の平安-バージョン2」の三段の冒頭部については、実質的には合計で「四挙動以上」と評価されることになり、上記の如く「武術の平安」の当該部分は実質的には二挙動ということを考えると、結局、「体育の平安-バージョン2」を行うには「武術の平安」の「約2倍以上」の長さの時間が掛かってしまうわけである。

 武術の勝負の世界において、「1.5倍」とか、ましてや「2倍以上」の時間が掛かるというのは、とんでもなく長すぎるのであって、こんなゆっくりとした動作では、とてもではないがマトモに戦えるものではない。

 糸洲が創作したオリジナルの「体育の平安」の動作自体が、そもそも体育用であり既に非武術的だったわけであるが、現在に残る「体育の平安-バージョン2」というのは、それ以上に非武術的な動作にすぎないということを、しっかりと認識して欲しいものである。

 * 上記のことから分かるとおり、現在に残る「平安」の型というのは、そもそもの動作からして「武術の平安」とは根本的に全く異なるのである。

 それにも関わらず、今までに発表されてきた「平安の分解」というのは、その現在に残る「平安」の型の動作から直接に分解を考え出していたわけだ。

 例えば、平安三段の冒頭部の分解であれば、人によっては、上記の松涛館流の「体育の平安-バージョン2」の三段の冒頭部の動作を元にして、その分解を考えていたのであり、また人によっては、自らが習った松涛館流以上に変形している「体育の平安-バージョン3」を元に分解を考えていたわけだ。

 しかし、もうお分かりのように、それらの型の動作は、「武術の平安」の「練武型」の動作とは根本的にかけ離れている以上、マトモな分解など考え出せるわけが無いのである。

 「平安の分解」を発見したと自画自賛している人達も結構いるかも知れないが、以上のことから分かるとおり、とてもではないがマトモに評価出来るレベルではないのが実態なのだ。この点、自惚れを捨て、極めて深刻に反省してもらいたいと思う次第である。

 ** 巷間、武術的身体操作法がどうのこうのと、メディアに登場しては私見を述べている人達がいるが、彼らが述べる「運足」は、ひどいものだと「体育の平安」の「体育的静歩行」を武術的だと評価してみたり、さらにひどくなると、(私が「機械的静歩行」と呼んでいる)さらにもっと非武術的な「静歩行」を、武術的だと評価している人達もいるくらいだ。(これらの「静歩行」の詳しい分類については、拙著「武術の平安」を参照されたい。)

 それらに比べれば、「動歩行」を武術的と評価している人達は、よりまともではあるのだが、それでも、彼らメディアに登場している人達が解説している「動歩行」というのは、私が再現・復元した糸洲安恒創始の「武術の平安」レベルの「動歩行」ではなく、もっと低級で素人っぽい「動歩行」にすぎないのだ。(中には、「膝抜き」などという、最悪レベルの「動歩行」を主張している人達もかなりいるようだが・・・)

 どうして、もっと高度な「運足」を語る人が登場して来ないのか、と言うと、結局の話し、本物の武術的な「鍛錬」が欠けているのである。

 つまり、本来ならば、まずもって“どのような「鍛錬」を積めば、武術的に高度な身体操作が可能になるのだろうか”という問題提起から始まって、様々な「鍛錬」を長年にわたって積むことで、少しずつ真実に近づいていくのが正しい道のりなのだ。

 しかし、現在メディアを賑わしている身体操作の評論家達は、何も特別な「鍛錬」などは行っていない自分の今現在の「普通」の身体を全面的に肯定してしまい、そこから直接に武術的動作を考案しようとしているにすぎず、それでは高度な技術など発見出来るわけもないのである。

 *** 「運足」が話題になったので、一言追加しておくが、“武術的に正しい運足とは、「静歩行」なのか、それとも、「動歩行」なのか”との疑問を掲げる人が後を絶たないようだ。

 しかし、「静歩行」や「動歩行」というのは、そもそも「大衆的な歩行」に関する分類法なのであって、古伝空手のような本来の武術における運足、即ち、高度に専門的な歩行に関わる概念ではない。

 従って、古伝空手の運足を、「静歩行」や「動歩行」と言う概念で理解しようとすること自体が、そもそもの間違いなのである。

 なお、直前の注の中で述べた“糸洲安恒創始の「武術の平安」レベルの「動歩行」”というのは、それ自体は確かに大衆的ではあるが故に「動歩行」に分類されるわけだが、「古伝空手の技術に代わる大衆的な技術」を考案しているところが、他の追随を許さない点なのだ。

 つまり、現在メディアに登場している身体操作の評論家達は、古伝空手のような特別な「鍛錬」を必要とする専門的身体操作法については全く何も知らないために、素朴な「動歩行」しか考案出来ないのだが、それに対し、糸洲安恒は、同じ「動歩行」でも、古伝空手を踏まえた上でのより高度な「動歩行」を考案し得た、という点に極めて大きな違いがあるのである。

武術空手研究帳・増補(15) - 完 (記:平成二十八年十月)

(=> 増補(16)「宮本武蔵の戦い方(武蔵は何故、木刀で戦ったのか?)- 前編: 決闘、吉岡兄弟」へ進む)

*** プロフィール ***

プロフィール

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 長谷川光政

 昭和33年(1958年)、東京生まれ。

 中学生(12歳)の時に剛柔流の空手を習ったのが、空手との最初の出会い。

 それ以来、首里手系の空手や、フルコン系、防具系の各流派等でも空手を学ぶ。

 しかし、いくら修行をしても、どうしても既存の空手に納得がいかず、最終的には自分一人での研究・修行を続けることとなった。

 それから十五年以上が経過した四十歳台後半に至って、遂に、失伝していた古伝空手の核心的技術である「当破(アティファ)」を発見することに成功。

 それ以降は、その発見をきっかけに、古伝空手の型に関する様々な謎も解明出来るようになった。

 また同時に、糸洲安恒の創始した近代空手の代表型である平安(やナイファンチ初段~三段)についても、その謎を解き明かすことに成功した。

 現在では、琉球の古伝棒術等の研究も一通り終了しており、新たな発見等については、漸次、この「武術空手研究帳」の「増補」等を通じて公開発表していく予定である。

 東京大学教育学部体育学健康教育学科卒。