武術空手研究帳・増補(9)- 「型(形)の状況設定(首里手と泊手の違い)」
[「型(形)の状況設定」とは、「ある型(形)がどのような状況設定の下で創られたか」ということを意味しているのだが、そもそも、型(形)というのは、“一般”的な状況設定の下で創作されるのであり、決して“特殊”な状況設定の下で創作されるわけではない、ということだ。
しかし、他方において、“一般”と“特殊”という概念自体は相対的なのであって、決して絶対的ではないのである。
以上の諸点が分かると、型(形)の理解が一段と進むことから、今回は、「型(形)の状況設定」というテーマで、具体例を挙げながら解説してみたいと思う。]
超人ではない
世の中には、武術の「達人」とは、いわゆる一種の「超人」である、と考えている人達がいるようだ。
これは、一部の現代空手家にも言えることなのであり、「達人」とは、如何なる状況下でも滅法強い一種の「超人」のことだ、と考えている人もいるようだ。
しかし、武術の達人であっても、決して人間離れした「超人」などではないのである。
彼らも、優秀な「職人」の一種なのであって、磨いてきた技にも一定の条件や限度があるのだ。
例えば、如何に優れた柔術の達人であっても、もし水泳が出来ないあるいは苦手であれば、水泳の上手な者と水中で戦えば、極めて不利なのであり、勝てる可能性は非常に低い。
このように、“どのような武術であっても、必ず一定の条件の下に成立している”ことを忘れてはならないのである。
ここで思い出すのが、塚原卜伝が暴れ馬のいる道を避けて遠回りした、という有名なエピソードについてだ。
これに対しては、「さすが塚原卜伝。用心深いことだ」などという評価が一般的だが、私の考えはいささか異なるのである。
「用心深い」と評価しているのは、「塚原卜伝ほどの武術家からすれば、そんな暴れ馬の一頭や二頭、たいしたことはないのだが、万が一を考えて、遠回りしたのだ」というほどの意味と思われる。
しかし、卜伝は剣術等の武術の達人ではあっても、暴れ馬を制御する専門家ではないはずだ。
剣術等の武術の達人であれば、およそ敵である人間が武器を持って攻撃してくる時の、気配は十分に察知出来るであろうし、また、その攻撃パターンも熟知しているであろう。よって、敵が人間である限り、自由自在に対処出来るわけだ。
しかし、馬、それも暴れ馬ともなると、卜伝にとっても専門外なのである。
だから、遠回りしたのだ。
つまり、武術の達人というのは、決してマンガに登場してくるような「超人」ではないのであって、あくまでも「武術」という技術に関する練達の専門家に他ならない、ということなのだ。
先述の通り、“どのような武術であっても、必ず一定の条件の下に成立している”のであるから、剣術等の武術であれば、「敵」とは当然に「武器を持った人間」が設定されているのであって、決して「暴れ馬」を敵として設定しているわけではない、ということを良く理解してもらいたいのである。
* 武術にあこがれて稽古を開始して間もない頃、特に未成年の場合などは、一種の「超人」への変身願望を強く心に抱いているものだが、ある意味で、その位の気持ちがなければ、武術に関する「情熱が足りない」とも言えよう。
しかし、武術修行を開始して既に何年も経っている大人が、いつまでも「超人」にあこがれているとしたら、武術に関する「知性が足りない」と言える。
十分に注意して欲しいものである。
一般的状況を想定している
上記のように、“武術というものは、必ず一定の条件の下に成立している”わけである。
とすれば、当然のことながら、その武術の中心的な稽古科目である「型(形)」(本稿では「用」の型(形)の意)もまた、“一定の条件の下に成立している”ことになるわけだ。
つまり、型(形)というものは、必ず一定の状況を環境・背景等として設定した上で創作される、ということなのだ。
さて、多くの人は、型(形)が創作される際に採用された環境・背景等としての状況設定については、ほとんど全く関心を持たないようだ。何故なら、それはあたかも我々の日常生活における「空気」のような存在だからだ。
しかし、型(形)の背景には、必ず一定の状況設定が存在することを忘れてはならないのである。
ところで、そうした「型(形)の状況設定」とは、実際はどのようなものなのであろうか?
ズバリ結論から述べよう。
“型(形)というものは、ことさらに特殊な状況を設定して創作されることはなく、一般的な状況、即ち、「普通の」環境を設定して創作されるもの”なのである。
何故なら、常識で考えても分かるとおり、まずは一般的な状況下での戦い方を身に付けることこそが最優先されるべきなのであり、特殊な状況下での戦い方(例えば、先述の「水中での戦い方」など)は、一般的な状況下での戦い方を身に付けた後に、必要がある範囲で習得すれば良いからだ。
以上のことが分かっていれば、発表される「型の分解解説」の中に、明らかに変な分解があることも、即座に理解出来るようになる。
例えば、古伝のナイファンチという型は、「幅が狭い橋の真ん中で左右の敵と戦う型」であるとか、また、「壁を背にした状態で左右の敵と戦う型」などの説明を過去に読んだ記憶があるが、そもそもナイファンチは「体の型(鍛錬型)」なのであり分解は無い型なので、以上の説明は根本から誤りなのだが、それを別にしても、「幅が狭い橋の真ん中」とか「壁を背にした状態」などという「極めて特殊な状況」を設定しての解説を読んだだけで、そんな型(形)など存在するはずがない、と即座に分かろうというものだ。
別の例を挙げよう。
ある現代空手の流派の型解説によれば、パッサイの型の中には「暗闇での戦い方」を示す技が含まれているとの事であるが、このような解説もまた、間違ったカモフラージュ的分解なのである。
型の「真の分解」とは、僅か数挙動で成立している「基本分解」とかのカタログ的な寄せ集めなどではなく、ストーリー性のあるかなり長い連続技(私はこれを「業技」と呼んでいる)から成立しているのである。
そうした分解中に「暗闇での戦い方」が登場する、ということは、沖縄が琉球と呼ばれていた時代には、普通の明るさの下で戦っていると、突然明かりが全て消えて暗闇になってしまう、というような環境が、決して例外的ではなく、至極普通に当たり前の如くに存在していた事になるわけだが、常識で考えても、そのような環境が琉球にあったはずがない。
だから、そのような分解は、間違ったカモフラージュ的分解以外の何物でもないのだ。
実際のところ、私が復元したパッサイの「真の分解」のなかには、「暗闇での戦い方」を示す技などは一切含まれていないのであり、全ての技は(当然のことながら)普通に敵の体が見える明るさの下での戦い方になっているのである。
もう一度述べるが、“型(形)というものは、一般的な状況、即ち、「普通の」環境を想定して創作されるもの”なのである。
特殊な環境下での戦い方などは、もし習得しておく必要があるとするならば、あくまでも一般的な状況下での戦い方を型(形)を通して身に付けた後に、補足的な項目として習得させるべきものなのであって、型(形)の中に含ましめる性質の技術ではないのである。このことを、しっかりと肝に銘じておいてもらいたい。
* 古伝剣術においても、鞘等を利用して暗闇で戦う技術などが伝わっているが、やはりそういう技術は、稽古体系の中心にある組形で学ぶのではなく、組形以外に補足的に伝授・指導されるべき技術なのであって、組形それ自体(や、その「砕き」)の稽古においては、一般的な状況下における戦い方をみっちりと修行するのが、通常の修行体系なのである。
ケンカ空手
さて、今までの議論を踏まえた上で、では今度は、古伝空手の型に目を向けることにしよう。
古伝空手と言っても、具体的には「首里手」「泊手」「那覇手」と三種類ある。
この内、那覇手は、首里手を母体に誕生した古伝空手ではあるが、当破につながる基礎技術が首里手とは全く異なるために、今回の議論からは除外せざるを得ない。
それに対し、泊手は、当破につながる基礎技術が首里手と全く同じなのであり、結局、首里手と泊手は兄弟流派なのである。
つまり、両流派は技術的に相互に互換性があるのであり、首里手の空手家は泊手の型を習うことが出来たし、逆に、泊手の空手家も首里手の型が習得可能だったのである。
そこまで似ている両流派なのであったが、もちろん、首里手と泊手にも違いがある。
では、どういう点に違いがあったのか、と言うと、型の分解(技)に違いがあったのだ。
では、どのように分解(技)が違っていたのか、と言うと、「状況設定における“一般性”の捉え方」に大きな違いがあったのだ。つまり、泊手は、「その当時の普通の生活環境」をそのままストレートに「型が成立するための一般的状況」として採用したのである。ややオーバーに言い換えれば、泊手は「何でもありの空手」として創作された、ということなのだ。
一例を挙げよう。
泊手の流れを引く現代空手の流派には玄制流があるが、「増補(4)」で述べたように、私が現代空手で最後に習った防具系の流派も、この玄制流の系統だった。
そして、この系統のパッサイには、首里手の流れを引く松涛館流のパッサイなどにはない、ちょっと変わった動作が含まれていたことを思い出す。
どういう動作かと言うと、右足前の右後屈立ちから右足を大きく後ろへ後退させて左後屈立ちになり、同時に、右手刀で正面上段に手刀水平打ちを行うシーンがあるのだが、この右足を後退させるときに、(右膝を右方に開きながら)右足を一度金的の前方辺りに引き上げるのである。そして、右足が最も高く上がったあたりで、右手で右足先を軽くなでるようにして、それから、右足は後方に降ろし、右手は手刀にして上段に振り上げ前方に水平打ちを行うわけだ。
この奇妙な動作には、一体どのような意味(分解)があるのだろうか?
玄制流系統の書籍には、確か、敵の足を我の右足で払い、その払った敵の足首を、さらに我の右足ですくい上げ、さらに続けて、我の右手でその敵の足首を掴んで持ち上げて、敵を倒す、かのような解説がなされていたと記憶するが、もちろんそれは「カモフラージュ用の分解」であり間違いである。
そんな技(?)などは、実際の勝負の最中には現実に出来ようはずもないことくらい、少し柔道等の経験があれば直ぐに分かるからであり、また、足払いなどという敵に尻餅をつかせるような技は、スポーツ的な技に他ならず、武術の時代の技ではないからである。(さらに、敵は倒れているにも関わらず、何故上段に手刀水平打ちを行うのか、全くもって意味不明である。)
では、その奇妙な動作は一体何を意味しているのか、と言うと、それは、右足に履いているゲタの鼻緒に右手の指を引っ掛けるようにしてゲタを取り上げ、そのゲタで正面にいる敵の頭をひっぱたく、という技だったのである。
ご覧の通り、古伝泊手という空手は「何でもありの空手」だったのであり、俗っぽく言えば「ケンカ空手」でもあったわけである。
また、今回のテーマに即して定義付けるならば、泊手とは、先述のとおり、「その当時の普通の生活環境」をそのままストレートに「型が成立するための一般的状況」として採用した空手だったのだ。
当時は、ゲタを履いて歩くことは、ごく普通の生活環境だったのであり、それをそのまま型の中に取り入れたにすぎなかったわけである。
しかし、もうお分かりのとおり、このような型の状況設定の仕方をすると、確かに当時の琉球でケンカをする時には便利ではあったろうが、他方で、致命的とも言える欠点も孕んでしまうことになる。それは、時代が異なること等により生活環境が変わってしまうと、使えない技が生まれてくる、と言う点だ。
上記のゲタを使う技も、現代生活の下では、まず使用する機会はない。
私は、泊手の型も好きで結構稽古するが、その「真の分解」の技の内、現在でも使用可能な技は、大雑把に言って約半数くらいであり、残りの半数は、現在では、まず使えないか、条件が揃ったときにしか使えない技なのである。
何でもあり、は認めない空手
ところで、今まで「一般」や「特殊」という論理学的用語を使用してきたが、そもそも「一般」や「特殊」というのは、絶対的な概念ではないのであって、それらは相対的な概念なのである。
つまり、「一般的」と思われることも、別の観点から見れば「特殊的」であったりするわけだ。
一つ例を挙げよう。
いわゆる中国拳法の中には、地面に寝転がるような姿勢で戦う特異な拳法があるそうだ。
この種の拳法は、シナ大陸でも寒い地方、即ち、地面が凍っているために滑りやすい地域で発達したと言われている。
つまり、我々のように立って戦うと転びやすいために、最初から転んだ状態になって戦う技術が発達したというわけだ。
もうお分かりのとおり、この地方では地面が滑りやすいのが「普通」であり「一般的」であったのだ。だから、上記のような拳法が誕生したわけだ。しかし、そのような環境というのは、他の地域から見れば、極めて「特殊」な環境と言えるのである。
いずれにせよ、そのような拳法を創作した人達からすれば、ごく普通の状況下における技の数々を開発したにすぎないわけなのだが、他の地域の拳法修行者達から見たら、それらは特異な拳法に見えるのもまた事実なのである。
このように、「一般」「特殊」という概念は、絶対的な概念なのではなく、あくまで相対的な概念なのだ、ということも、ここで押さえておいていただきたいと思う。
さて、以上のことを踏まえた上で、首里手のことに話しを進めよう。
首里手と泊手との大きな違いを一言で言うと、首里手では、型の状況設定における「一般性」の捉え方が、泊手とは大いに違っていた、ということだ。
詳しく言うと、首里手は、「その当時の普通の生活環境」を(泊手のように)そのままストレートに「型が成立するための一般的状況」として採用したのではなく、「その当時の普通の生活環境」それ自体を「特殊な生活環境」と規定することで、それを元に「より一般的な状況」というのを抽出し、それを「型が成立するための一般的状況」として採用したのである。
分かりやすく具体的に言うと、首里手においては、「我も敵も、坊主頭で、褌一丁」という設定を基本に据えたわけだ。この基本的状況設定の下で、型の分解(技)を構築していったのである。別言すれば、「(時代等に左右されない)普遍的な状況設定」を目指していたのであり、「何でもあり、は認めない空手」でもあったわけだ。
そういう首里手であってみれば、時代が変わって生活環境が変化しようとも、型の分解(技)は基本的に影響を受けないのであって、事実、私が解明した首里手の型の真の分解が示す技は、現代社会でも100%使用可能なのである。
本サイトにおける拙著「武術の平安」の解説ページの中や「増補(4)」で、糸洲安恒が創作した「武術の平安」には、「敵の髪の毛や衣服を掴む行為」は一切登場してこない、と述べたが、これは、「武術の平安」はそもそもは「軍隊用の空手」であった以上は当然の要請でもあったわけだが、同時に、糸洲は、首里手の伝統をも守ったわけである。「坊主頭で、褌一丁」の敵の「髪の毛や衣服を掴む行為」などは有り得ないからだ。
(私以外の人達が今までに発表した平安型や古伝首里手の型の分解の中には、平気で「敵の髪の毛や衣服を掴む行為」が登場してくるが、このことは、その人達が、平安の真の目的(即ち、軍隊用の空手だったこと)や、古伝首里手の型の状況設定について、まったく理解すらしていないことを物語っている。)
* 上記本文中で、「一般」と「特殊」は相対的な概念と記し、一例として「地面に寝転がるような姿勢で戦う拳法」を取り上げた。
さて、ここで応用問題である。
もし、次のような地域があったとしたら、そこではどのような体術の型が誕生し得るであろうか?
つまり、一年の大半は比較的温暖なのだが、冬になると気温が急激に下がり地面が凍結するような地域における体術の型についてである。
答えはもうお分かりと思うが、二本足で立って戦う普通の体術の型と共に、上記のような寝転んだ姿勢で戦う型も少数ながら創られることであろう。
何故なら、比較的温暖な時期には古伝空手や「武術の平安」のように立って戦う体術が自然であろうし、他方、寒くて地面が凍結するような時期には「地面に寝転がるような姿勢で戦う拳法」のような体術の方が便利だからだ。
つまり、その地域では、そうした相反するような二種類の地面の環境が「普通」に存在する以上、それに呼応するように二種類の型が誕生するのが自然だからである。
もちろん、地面が凍結するのが一年間でほんの数日だけであるとか、あるいは、数ヶ月間地面が凍結はするものの、そうしたことが発生するのが数十年に一度くらい、というのであれば、あえて地面に寝転がるような姿勢で戦う型などを創る必要は無いのだが、ほぼ毎年、数ヶ月間にわたって地面が凍結するというのなら、地面に寝転がる姿勢で戦う型を創る方がより自然なのである。
ところで、こうした応用問題を記したのには理由がある。
それは、近代空手における型の構成のことなのだ。
「武術の平安」と「ナイファンチ二段・三段の秘密」の両者の伝授を受けた方達ならお分かりのとおり、「武術の平安」は「一般的な状況設定」の下に創作された型だが、「ナイファンチ二段・三段」はかなり「特殊な状況設定」の下に創作された型だからである。
つまり、「武術の平安」が近代空手の型として創作されたのは理解出来るが、「ナイファンチ二段・三段」のようなかなり「特殊な状況設定」の型が一緒に近代空手の中に存在するのはおかしいのではないか、と思う人もいるかも知れないからだ。
もうお分かりの通り、近代空手がこうした構成になっているのも、別段不思議なことではないのであって、上記の応用問題と全く同様のロジックなのである。
つまり、糸洲安恒からすれば、もちろん「武術の平安」こそが本来の中心的な近代空手の型であったわけだが、「ナイファンチ二段・三段」で想定されている「特殊な状況設定」もまた、十分に発生し得ることだと糸洲が考えていたからこそ、彼は「ナイファンチ二段・三段」という型も創作したわけなのである。
「ナイファンチ二段・三段」で想定されている「特殊な状況設定」が、まずは発生しない、あるいは、発生するかもしれないがその確率は低い、と糸洲が考えていたのならば、これを「型」として残すことはしなかったはずなのだ。
もちろん、「ナイファンチ二段・三段」は、「武術の平安」の前に創作された「武術の平安」の「プロトタイプ」という一面もあるわけだが、やはりあえて「型」として創作した以上は、糸洲はそうしたことが発生する可能性がかなり高いと判断していたことが分かるのである。
だからこそ、私は「ナイファンチ二段・三段の秘密」の中の「コラム」を執筆したわけなのだ。
しかも、「ナイファンチ二段・三段」で想定されている「特殊な状況設定」というのには、非常に細かな「ルール」まで見て取れるのであるから、糸洲が如何に真剣に「対決」の発生を想定していたか、が良く分かるのである。
武術空手研究帳・増補(9) - 完 (記:平成二十八年二月)