武術空手研究帳・増補(4)「武術の水準(ケンカで使えるか?)」
[ 今回は、「武術の水準」というテーマで論じてみたい。
これは、「武術空手研究帳・第10回」で述べた「検証」のことなのであるが、ある「技」が「武術」の「技」と呼ぶに相応しいレベルに達しているか否か、という議論のことなのである。
とにかく、「武術」という概念が抽象的にしか理解されなくなってしまった現在においては,非常に重要な基準なのだ。]
ここで、ちょっと一言
近代空手の公開を開始してから、もうかれこれ二年以上が過ぎた。
伝授を受けた受講者の方々の人数も、それなりの数にはなっている。
武術として当然のことながら、私は、伝授に際し、その内容の一般公開は硬く禁じている。
身近な人などに少し話す程度までは構わない、としているが、特にネット上での内容公開はたとえ一部であれ厳に禁じているわけだ。
幸い、今までの受講者の方々は、武術家の矜持として、この事をきちっと守ってくれている。
従って、ネット上で、“誰か「武術の平安」の伝授を受けた方はいませんか?”などと尋ねてみても、マトモな返事は返ってこないので、ご注意願いたい。
私は落ちこぼれ
さて今回は、「武術の水準」というテーマであるが、本題に入る前に、少し、私自身について述べておきたい。
私自身については、「武術空手研究帳」でもそれなりに述べており、いささか重複する点もあろうが、私は現代空手の立場からすれば、いわゆる「落ちこぼれ」である。
決して現代空手の「優等生」ではない。
ここに現代空手の「優等生」とは、例えば、一つの流派・団体で長く修行し、段位も上がり、その流派・団体主催の大会等で入賞経験もあり、指導する立場にもなって、履歴書などに現代空手についてあれこれと様々なことを書き込めるような人のことをいう。
それに対し、私の場合は、何しろ、最初に剛柔流の現代空手に接して以来、習うことのほとんど全てに対して疑問が生じたのであり、それらの正解を求めては、流派を変えて行ったのだから、「優等生」などになれるはずもなかったのである。
例えて言えば、私は、「空は何故青いのか?」とか「1+1は何故2なのか?」と先生に質問して学校を追い出された、エジソン少年のようなタイプだったのかも知れない。
それでも、剛柔流、松涛館流、極真空手、(「武道の理論」で一世を風靡した頃の)玄制流玄和会、で習うことが出来たので、現代空手の代表的な流派・団体で稽古してきたことは確かであるし、組手・試合ルールで見ても、寸止め、フルコン、防具、と一通り経験出来たし、また古伝空手との関係の観点からも、那覇手(剛柔流)、首里手(松涛館流)、泊手(玄制流)、と一通りの経験を積めたのも幸いであった。
指導については、小規模ながら現代空手を指導した経験も複数回ある。自分で言うのも何だが、私は教えるのがかなり上手い。この点については、家庭教師で勉強を教えるのも、現代空手を指導するのも、生徒からの評判は良かったものだ。
さて、試合についてだが、私自身の武道の試合経験数は、若いときの話だが、合計で数十回程度であり、その大部分が柔道での試合経験である。
しかし、余り自慢出来る話ではないが、私の若い頃の最も大きなウエイトを占める戦いは、何と言っても「ケンカ」であった。
主に小学校、中学校の頃ではあるが、とにかくよくケンカをした。
私はいつも一人で、必ず私より体のでかい奴らとばかり戦っていたのだが、ケンカの最中にどんなに熱くなっていても、頭の中の一箇所は不思議に極めて冷静だったために、取り返しのつかないような大怪我などは、相手も自分も負ったことはない。
でも、とにかく、あきれるほど多くのケンカをした。
一体何回くらいやったか、この前、大雑把に計算してみたのだが、どう少なく見積もっても、五百回は軽く超えている。ひょっとしたら、一千回以上だったかも知れない。
まぁ、このようなタイプの私であったからこそ、古伝空手や近代空手の解明という仕事も達成出来たと思う。
何故なら、武術としての体術の真剣勝負、というのは、そのレベルを度外視すれば、まさに「ケンカ」のことなのであり、決して一定のルールの下で成立している武道の試合ではないからだ。
「ケンカ」と「武道の試合」の両者の間には、一般人が想像している以上の大きな違いがあるのである。
例えば、「武術空手研究帳」の冒頭で述べたように、私は「気配を消す」と「一拍子」にこだわったが、これらもそもそもは「ケンカ」の中で感じたことなのであり、決して柔道や現代空手の稽古や試合から生まれた発想ではなかったのだ。
ケンカなればこそ非常に真剣になるのであって、僅かな「気配」などであっても、自分としては発したくなかったのである。
実際、二十歳頃のことであるが、現代空手の先輩達(もちろん全員黒帯)に、この「気配を消す」と「一拍子」の悩みについて話をしたことがあったのだが、予想通り、誰一人として私の意味するところを理解してくれなかったのを覚えている。
要するに、現代武道の甘い感覚では、本当の意味での「気配」や「拍子」というものが理解出来ないのだ。
同様なことは、例えば現代空手の基本の「受け技」についても言える。
私は、現代空手を習い始めた初期の頃から、これら基本の「受け技」には疑問を持った。
何故なら、「使えない受け技」では、イザというときに困るからである。(イザというときとは、もちろんケンカのときのことである。)
だから、基本の「受け技」についても、実に真剣に悩んだものだ。
その後、多くの現代空手の修行者と、この基本の「受け技」についても色々と会話をしたのだが、ほとんど全員が、それなりに疑問は持っていたことを知っている。
しかし、彼らは、一定の疑問は感じるものの、それ以上この問題に真剣に取り組むつもりはなく、これが基本の「受け技」というのなら、黙ってその通りに練習していれば良い、というような態度であった。結局のところ、そんな疑問に一々深く関わって悩んでいたら、とてもではないが「優等生」にはなれない、という事だったのであろう。
以上のことは、今回のテーマである「武術の水準」についても同様であり、これは要するに、ある「技」が「武術」の「技」と言える水準に達しているか否か、という議論なのであるが、この件に関しても、現代「武道」の水準で考えては正しい答えは出せないのであって、「武術」有体に言えば「ケンカ」でその「技」が使えるのか、という観点から真剣に検討しなければ、実戦で痛い目を見ることにもなりかねないのである。
よって、以下の議論も、そういう観点から執筆してあることをご了承いただきたいと思う。
*「現代空手」と「武術空手(即ち、古伝空手と近代空手)」とは、同じく「空手」としてくくってはいるが、実質的に見れば、両者は、同じ「血統」に属している武術・武道である、とはとても言えない程離れているのである。
古伝空手と近代空手は親子の関係とも言えるが、近代空手と現代空手には、そのような関係はない。
というのは、近代空手の「技」は、古伝空手の「技」を元にして生まれているから、同じ血統の親子と評価出来るのだが、現代空手の「技」は、近代空手の「技」から生まれたのではなく、近代空手の「体の型(鍛錬型)」である「平安二段」の「動作」から作られたのである。
つまり、現代空手の「技」は、近代空手の「鍛錬」用の「動作」から生まれたわけで、とてもではないが、これで親子関係を主張するのは無理なのであって、よって、近代空手と現代空手の間には、質的な意味での大きな断絶があるのだ。
戦闘方式についても、武術空手は「B方式」であるのに対し、現代空手は「G方式」と、全く異なるし(「B方式」「G方式」については、「増補(1)」を参照の事)、また、武術空手には「発力法」(「当破」や「倒木法(倒地法)」の技術)があるが、現代空手にはそのようなものは全く無く、さらに、武術空手は豊富な「取手技」があるために技術体系はかなり複雑なのだが、現代空手は、極めて単純な武道として作られており、現実に、組手試合でも、ほとんどの選手が「正拳突き」と「回し蹴り」くらいしか使っていないのである。
これほどの違いと、現代空手の単純さのために、結局のところ、現代空手の知識程度では、どうあがいても、古伝空手はもちろんのこと、近代空手を解明することも、絶対不可能なのである。
今までに、現代空手の各流派・団体の「優等生」の方達も何万人と誕生してきたであろうし、その内の一定数の人達は頭脳も明晰であったと思うが、それらの内の誰一人として昔の武術空手の解明が出来なかったという事実が、そのことを証明していると言えよう。
** 上記本文で記したとおり、私は、現代空手の「優等生」ではなく「落ちこぼれ」なので、例えば“現代空手の試合で優勝する方法”などのテーマで本を書くことは出来ない。理由は簡単で、私はそういう分野の専門家ではないからだ。
同様に、直前の注でも述べたように、現代空手の「優等生」は、例えば拙著である「武術の平安」のような本は書けないのである。これも、理由は全く同じで、現代空手の「優等生」の方はそういう分野の専門家ではないからだ。
この点につき、少し気になることがあるので、ここで触れておく。
現代空手家の中には、ある一つの流派・団体で「優等生」レベルの空手家になれば、他の如何なる流派・団体の試合でも優秀な成績を収められるはずだし、さらにまた、実戦においても通用する武術空手が身に付くはずだ、と考えている者がいると思う。(つまり、「道が違っているだけで、同じ空手の山を登っているのだ」という根拠無き抽象論を信じている者がいると思うのである。)
実際、私自身も、空手を習い始めた十代前半頃には、漠然とではあるが、そのように考えていたものである。
しかし、その後、異なる流派・団体を経験していく中で、現代空手と一口に言っても、ルールが変わると、試合の結果はガラリと様変わりする現実を色々と見た。
つまり、例えば寸止め試合で強い人も、フルコンや防具の試合では1回戦敗退などは極当たり前の現象なのであり、また、フルコン試合で上位入賞した人でも、防具を付けて異なるルールで試合をすれば、やはり予選落ちも普通に起きることなのである。
だから、現代空手というのは、やはりルールに基づく「スポーツ」なのであり、また、寸止め・フルコン・防具それぞれの現代空手というのも、それぞれが異なる種目のスポーツと考えた方が、寧ろ実態に近いと思う。
そして、今度はさらに、これらのスポーツ空手は、やはり武術空手とも大きく異なるのである。
ルールや審判や制限時間が存在するスポーツ空手と、それらが存在しない武術空手とは、色々な意味で違ってきてしまうのだ。
例を挙げれば切りが無いくらい違いがあるのだが(例えば、「発力法」の有無、等々)、分かりやすい例としては、「金的蹴り」がある。
現代空手では、まず、どのルールの試合でも「金的蹴り」は反則である。だから、「金的蹴り」などは普段あまり練習しない。それどころか、団体のトップや師範クラスであっても、武術的に正しい「金的蹴り」のやり方を知らないのが普通なのだ。
もし、私の言うことが信じられないのならば、自分の現代空手の先生や先輩等に次のように質問してみれば良い。
“目の前に(金的の防具などは身に付けていない)暴漢がこちらを向いて立っているとして、そいつの股間を金的蹴りでしっかりと蹴り上げれば、悶絶してうずくまりますよね?”
これに対して、“当たり前だ”というような答えが返ってきたら、その回答者は武術的に正しい「金的蹴り」を知らないことが分かるのだ。
何故なら、その質問に対する正解は、“君が、運が良ければ暴漢は悶絶するだろうが、運が悪ければ暴漢はケロッとしているだろうね”だからである。
なお、武術的に正しい「金的蹴り」のやり方については、拙著「武術の平安」のP.203~の“口伝解説・その4-現代に残る口伝について・その1”で具体的かつ詳細に解説してあるので、そちらを参照願いたい。
武術の水準
さて、その「武術の水準」であるが、拙著「武術の平安」や「ナイファンチ二段・三段の秘密」の中では、割と頻繁にこの用語が登場する。
その理由は、私が復元した技が「武術の水準」に達していなければ、それは武術としてはニセモノの「技」であり、そんな「技(?)」を習得してしまったら、実際の戦闘(要するに「ケンカ」のこと)で、悲惨な結果になってしまうからだ。
だから、私は、古伝空手はもちろんのこと、近代空手の復元に際しても、その一つ一つの「技」ごとに、“この「技」は「武術の水準」に達しているか?”と、丹念に検討を積み重ねたわけである。
そして、私が復元した全ての「技」が、間違いなく「武術の水準」に達している、と確認が取れて初めて、私は「武術空手研究帳」を世に発表し、拙著「武術の平安」や「ナイファンチ二段・三段の秘密」を公開したのである。
(私が昔の武術空手に関して自信に満ちた発言をしているのも、決して私が生来の自信家だからではないのだ。そうではなく、私は、本当に真実を掴んだと確信が持てるまでは、決して世には出ないタイプなのであり、だから、世に出た時には、自信を持って発言しているわけなのである。)
さて、ではここで、少し具体的に「武術の水準」について、考察してみよう。
例えば、柔道の「背負投げ」を取り上げてみる。
この「背負投げ」という技は、確かに武道である柔道の立派な技ではあるが、果たして「武術の水準」に達している技なのであろうか?
答えから言うと、否、である。
というのは、例えば相手の右腕を攻める右背負投げを実戦で掛ける場合で考えてみると、相手の懐に跳び込む際に、相手の左腕による反撃を受ける可能性があるからだ。
もちろん、相手が弱ければ、そのような反撃など出来ない。
また、相手が多少強くとも、柔道のベテランならば懐への跳び込みもかなり素早いために、やはり、反撃を受けることなく背負投げを掛けることも可能であろう。
しかし、相手がそれなりの技量の持ち主であれば、必ず反撃を喰らうのであり、従って、「武術の水準」に達している技とは認められないのである。
他の例として、例えば、合気系武道で登場する「小手返し」を見てみよう。
この技も、もし教科書通りに掛けるならば、弱い相手ならば投げることも出来ようが、そうでなければ、相手は、体を崩されながらも、空いている方の腕で反撃が可能なのであり、よって、「武術の水準」には達していないことになる。(ここでは詳細は省くが、実戦で「小手返し」を使いたかったら、こうした反撃を封じる投げ方を工夫すべきなのである。)
また、同じ合気系武道の「四方投げ」を見てみると、相手の脇の下をくぐって投げる方式は、上記の二つの技と同様な理由でダメなのであって、他の方式の投げ方でないと「武術の水準」に達している技とは認められないことになる。
このように、「武道」的には良しとされる技でも、「ケンカ」即ち実戦で使える技とは限らないのであって、この違いを良く理解しなければ、「武術の水準」即ち「武術の技の合格基準」も正しく理解出来ないことになってしまうわけだ。
平安の分解
では、今度は、他の方が発表した平安の分解について、この「武術の水準」の観点から検討を加えてみたい。
ここでは具体的な著書名等は伏せておくが、その平安の分解では、要するに、敵の後ろ首に我の手刀を引っ掛けて敵を崩したり、あるいは、敵の髪の毛や衣服の襟等を掴んで敵を引っ張り回す、というようなことを延々と行っているわけだ。
そこで、まず最初に指摘したいのは、本サイト中で拙著「武術の平安」を紹介しているページで述べたことだ。
つまり、軍隊用の空手として創られた「武術の平安」の分解の中には、敵の髪の毛や衣服を掴む技は登場してはならないのである。
理由は、軍人の髪型は、大抵の国で坊主頭か短髪なのだから、敵の髪の毛を掴むなどという技は通用しないからであり、軍服についても色々なタイプが存在するであろうが、日本の和服のように掴みやすいタイプの軍服というのは稀だからだ。(このことには、さらに、もっと別の理由もあるのだが、いずれ改めて別の増補で述べようと思う。)
以上の点を度外視しても、上記のような、“敵の後ろ首に我の手刀を引っ掛けて敵を崩したり、あるいは、敵の髪の毛や衣服の襟等を掴んで敵を引っ張り回す”という技術には、まだ問題がある。
端的に言えば、「武術の水準」に達していないのである。
これから述べることは、ケンカの経験がある程度以上ある人には、当たり前すぎる常識なのだが、ケンカの経験がほとんど無いような人にとっては、逐一説明しないと分からないと思われる。
よって、丁寧に解説していこう。
まず、結論から言うと、上記のような技術は、ケンカの際には、自分と身長・体格が同じ程度の素人の相手にはもう通用しないのである。
ウソだと思うなら、まさか実験目的でケンカをするわけにもいかないであろうから、自分と身長・体格が同じような稽古仲間に頼んで、自分は上記のように相手の体を崩したり引っ張り回したりを試み、これに対して、稽古仲間には、素朴な力のみを使って精一杯逆らってもらえば良い。
すると、そう簡単に稽古仲間の体をコントロール出来ないことが、身をもって直ぐに分かる筈だ。
実際のケンカの時には、双方共にアドレナリンがバリバリ噴出しているのであって、少々の痛みなどは何てことはないために、上記のように稽古仲間と実験する時より、はるかに相手の体のコントロールは困難になる。
確かに、敵の髪の毛を掴む方式であれば、ある程度敵の体をコントロールは出来よう。しかし、その場合でも、型の手順と同じように自由自在に敵の体を動かせるわけではない。
ましてや、敵の後ろ首を押さえたり敵の襟(胸倉)を掴んで引きずり回すなどという技術は、(自分よりずっと小柄で体格も劣る素人の相手ならともかく)自分と同程度の身長・体格の素人の相手にはそう簡単に通用する技術ではないのだ。
ここで、武術の「技」の「最低基準」について、触れておく。
これも結論から言うと、およそ武術の「技」というものは、最低でも、自分と身長・体格が同じような素人の敵に効果が発揮される水準の技術でなければならない、ということだ。
何故なら、相手が身長・体格で自分より劣る素人の場合は、動物的に見て自分より弱いわけであるから、技術など無くてもその相手に勝てるのは当然で、よって、そんな弱い相手に対して使う技術をわざわざ開発しても意味が無いわけだ。だから、武術の「技」というのは、動物的に見て自分以上に強い相手、即ち、身長・体格が自分以上の敵に対して通用しなければ意味がないことになる。
すると、武術の「技」の最低の条件としては、まずもって、自分と身長・体格が同程度の素人の敵を制圧出来る技術でなければならない事になるわけだ。
だから、上記の実験も“自分と身長・体格が同じような稽古仲間に頼んで”“素朴な力のみを使って精一杯逆らってもらえば良い”と記したのである。
さて、この実験の結果、その平安の分解解説の本で述べられている技術は、自分と同程度の身長・体格の素人の敵には、ほとんど通用しないことが分かったと思う。
これだけで、もう、その分解は、「武術の水準」に達していない不合格の「技(?)」ということになるわけだ。
しかし、その本で紹介されている分解の問題点は、まだ他にもある。
というのは、その分解の本を見ていると、延々と敵を引っ張り回している間、敵役の人間は何の反撃もしていないのだ。
これも、ケンカの経験が少しでもあれば簡単に分かることなのだが、ケンカが始まって、こちらが相手の襟(胸倉)を掴めば、相手がケンカに慣れていない場合でも、高い確率で相手もこちらの襟(胸倉)を掴んでくるのである。(これにも、ちゃんとした理由があるのだが、ここでは冗長になるので省略する。興味があれば各人で考えてもらいたい。)
そして、ケンカ相手がもっと好戦的なタイプの場合だと、こちらが相手の襟(胸倉)を掴んだとき、相手は、いきなり我の顔を殴ってきたり、あるいは、興奮して右左右左・・・とメチャクチャにパンチを繰り出してくる等の攻撃もしてくるのだ。
また、相手がどういうタイプやレベルであれ、我が相手の後ろ首を手刀で押さえ込んだ場合には、相手は、上体を起こしながら、同時に、自由に動かせる腕を使って、その後ろ首を押さえ込んでいる我の腕を払おうとするであろう。
これが、リアルなケンカの実態なのである。
しかるに、その平安の分解解説本の中の演武写真では、やられ役の人間は、全く「抵抗」も「反撃」もしないのだ。
後ろ首を押さえつけられても、全くの無抵抗で実に素直にお辞儀をするように体を崩し、自らの両腕は完全にフリーな状態なのにも関わらず、何の反撃もせずに、自分の首を押さえ込んでいる相手の腕を払うことさえ一切しないのだ。
こんな事は、実戦では100%ありえないのであって、この演武は、有体に言って、完全な「やらせ」なのである。(これらの演武は、写真付きで解説されているために、あたかもリアルな戦闘の現実をそのまま映していると誤解しやすいが、写真などは、いくらでも「やらせ」や「馴れ合い」の演出が可能なのである。)
従って、この平安の分解解説本は、「武術の水準」から見て不合格と評価せざるをえない。
このような、「武術の水準」はおろか、「武道の水準」にすら達していないような「技(?)」を身に付けてしまったら、実戦でとんでもない目にあうのは必定と言えよう。
まさに「生兵法は大怪我の元」なのである。
* 上記本文で批判的に検討した“敵の後ろ首に我の手刀を引っ掛けて敵を崩したり、あるいは、敵の髪の毛や衣服の襟等を掴んで敵を引っ張り回す”というような技術は、本物の「武術の平安」の「真の分解」には一切登場してこないのであろうか?
繰り返しになるが、上記本文中でも述べたとおり、“敵の髪の毛や衣服の襟等を掴んで敵を引っ張り回す”という技術は、もちろん一切登場してこない。
しかし、“敵の後ろ首に我の手刀を引っ掛けて敵を崩す”と言う技術は、極めて例外的ではあるが、登場するのだ。この点につき、少し補足説明をしておこう。
まず理解して欲しいのは、この“敵の後ろ首に我の手刀を引っ掛けて敵を崩す”と言う技術は、かなり力が必要ないわゆる「力技」である、ということだ。
敵は、ちょうど「重量挙げ」のように、顔を上げ、両脚を踏ん張り、背筋に力を入れて上体を起こせば、我の手刀などは比較的簡単に持ち上げることが出来るわけで、だから、その強い力に逆らって敵の首を押さえ付けるのであるから、「力技」なのである。
ということは、こういう「力技」系統の技術は、あまり武術には適していないことになる。何故なら、武術とは、「大よく小を制す」技術ではなく、逆に、「小よく大を制す」技術であるべきだからだ。
従って、糸洲安恒も、こうした「力技」系統の技術は、極めて例外的にしか「武術の平安」の「真の分解」の中に登場させてはいない。
しかも、それだけではないのだ。上記本文で批判したような「生兵法」とは全く異なり、やはり糸洲は一流の武術家なのであって、こうした「力技」系統の技術を使用している「技」を創る際には、しっかりと「武術の水準」に達するように、細心の注意を払っている。
具体的に言うと、そうした「技」は、平安四段と五段には無く、平安初段と三段にそれぞれ一個ずつ、計二個登場するのだが、その内の一つは、まず敵がある技に対して逆らってきたときに、その敵の逆らう力を利用して、敵の後ろ首を手刀で攻めて敵を投げ飛ばす技になっている。つまり、敵の力を利用することで、「力技」的要素を減らす工夫をしているわけだ。しかも、最後は敵を投げ飛ばすわけで、つまり、こうした「力技」で敵を継続的に押さえ込むことは、困難でありまた不合理であることを糸洲は知っていたのである。
もう一つの「技」は、まず敵の後ろ首を手刀で押さえて、まさに「力技」で敵を一度お辞儀をするように崩すのだ。そして、敵がそれに抵抗して起き上がろうとする力を利用して、今度は本命の技を敵に掛ける、という流れになっている。
この場合も、まず最初に「力技」で敵を崩す際には、かなり強力な「倒木法(倒地法)」の技術を使ってそれを行うのであり、さらには、敵が抵抗し難くなるような工夫も加えられている。また、そうやって敵をお辞儀をするように崩した後は、今度は敵にわざと抵抗させることで、その敵の力を利用して本命の技に持っていく、という仕組みになっているわけだ。
さらに、これら二つの技では、我はずっと敵の左側に位置し、敵の左腕を攻めながら技を掛け続けるために、敵は、フリーで生きている右腕を使っても(我の体には届かないために)反撃出来ず、我の直ぐそばにある左腕は、我に押さえ込まれて殺されているために、やはり反撃不可能なのである。(加えて、以上の間、敵は足を使って我に反撃する事も封じられているのだ。)
こういうレベルの技こそが、「武術の水準」に達している技なのである!
繰り返すが、私は、自分が復元した全ての「技」を、この「武術の水準」の観点から、十二分に検討を加えた上で、間違いない、と判断したからこそ、世に発表したのだ。
もちろん、それだけではない。
その全ての技が、平安の練武型の動作と酷似していなければならないし、また、古伝空手とも密接な関係になければならないのである。
前回の「増補(3)」の注の中でも少し触れたが、糸洲は、後に船越義珍が「松涛館七つの型」として選定した七つの型から「武術の平安」を創ったのであり、これら両者の間には、練武型でも、「真の分解(勝負形)」でも、細部にわたるまで密接な関係が見られるのである。
そうしたあらゆる点をクリアしたからこそ、本物に間違いない、と自信を持って発表出来るわけだ。
「武術空手研究帳」の中で、「当破」が分からなければ古伝空手は解明出来ない、と述べたが、「当破」を知ることは、あくまで「必要条件」なのであって、「十分条件」ではない。つまり、「当破」だけでは古伝空手の完全な解明は不可能なのであって、他にも、本稿で述べているような「武術の水準」に照らして技を「検証」する能力等々が要求されるのだ。
失伝してしまった昔の武術空手をオリジナルそのままに完全かつ正確に復元するということは、一般人の想像をはるかに超える程の困難な作業なのである。
この点で、昔の武術空手を、「妄想」即ち自分勝手な思い込みで復元しても良いのなら、誰にでも可能なのだが、その場合には、上記のような各種のチェック、中でもこの「武術の水準」のチェックを受けると、上記本文で見た如く、必ず「武術の水準」に達していないことがバレてしまうのだ。
しかし、大東亜戦争以前の日本では、まだ日本人には良い意味での「野生」が残っていたのだが、戦後になると、そうした「野生」が失われて行き、現在では、武術・武道関係の本や雑誌の出版社の編集部にも、一般の読者にも、そうした「武術の水準」に達しているか否かを見抜く目を持った人が非常に少なくなってしまった。
それがために、ニセモノの武術論や型の分解等が大手を振って歩いている状況なのである。
以上の事を、よく理解して貰いたいものである。
武術空手研究帳・増補(4) - 完 (記:平成二十七年十一月)