武術空手研究帳・増補(5)「サイは順手持ちの武器」
[ 以前述べた通り、琉球古武術(琉球古伝武器術)については、一通りの解明は終了している。
そこで、その概略について述べておきたいと思うが、分量の関係で、増補(5)と(6)の二回に分けて論じることにしたい。
その第一回目であるこの増補(5)では、特に「サイ」について述べてみることにしよう。]
車の両輪か?
まず真っ先に指摘したいのは、現在よく聞かれる「空手と琉球古武術は車の両輪」という格言についてだ。
この格言の意味する所は、「空手」と「琉球古武術」の両者は、技術的に密接不可分の関係にあり、一方だけを習ってもその技術は完成せず、両者を習得して初めて双方共に完成する、ということが言いたいのであろう。
しかし、「空手」と「琉球古武術」の間にはそのような関係は存在せず、結局の所、この格言は現代空手誕生以降に作られた贋物(ニセモノ)なのである。
では、以下に詳しく解説しよう。
古伝空手の時代に、古伝首里手の空手家が習得した主な琉球の武器術は、「棒術」と「サイ術」だったのだが、ここで注意して欲しいのは、それらは決して「首里手の棒術」や「首里手のサイ術」ではなかった、ということだ。
最近では、中国武術の格言やシステム等を、碌な検討もせずにそのまま古伝空手や日本武術に当てはめる輩がいて大いに迷惑しているのだが、「増補(1)- 第2回」で述べたように、確かに中国武術では、同門派内の拳法と武器術には密接な関係があった。しかし、古伝空手の世界には、そのような関係はなかったのであり、間違いなく(中国武術ではなく)日本武術に分類される琉球の古伝空手や古伝武器術は、他の日本武術と同様に、体術と武器術それぞれが基本的に独立していたのである。
つまり、首里手という総合武術の門派があって、その中に、体術である古伝空手や武器術である棒術やサイ術があったのではなく、首里手とはあくまで古伝空手の一流儀なのであり、棒術等の武器術は首里手とは別の武術として存在していたのだ。
そもそも、古伝空手を習得していた人達とは、ごく少数の人々だったのであり、それに比べれば、例えば棒術の修行者等はもっと多くいたのである。
もちろん、それらの棒術の大半は、本土で行われていた棒術と同じような技術だったわけだが、中には、琉球独自の棒術とも言うべき流派も誕生していた。
そして、首里手の空手家達が好んで習得したのは、主にそうした琉球独自の棒術だったわけで、その結果、その棒術は、首里手と技術的に一部関係が深まる点もあったわけだが、それでも、「首里手専用の棒術」ではなかったのだ。そのことは、首里手と密接不可分の技術的関係を有する棒術などが、現在に至るまで全く伝承されて来なかった点を見ても分かることである。
結局のところ、首里手の古伝空手家が習得した棒術やサイ術というのは、古伝空手とは基本的に別の技術体系だったのであり、従って、例えば、そうした棒術の技術に「当破(アティファ)」等は関係して来ないわけである。
* 上記本文中に、日本武術は体術と武器術それぞれが基本的に独立していた、という内容を述べたが、日本武術の中にも、「極めて例外的」ではあるが、体術と武器術とが密接な関係を有する流派も存在していた。一応、念のために記しておく。
異常な変形
さて、古伝空手の時代ですら、体術と武器術との間には、中国武術に見られるような密接な関係は存在しなかったわけだが、これが現代空手誕生以降になると、上述のような「空手と琉球古武術は車の両輪」などという格言が唐突に生み出されてしまったのである。
この贋作(ニセモノ)の格言が琉球古武術に与えてしまった悪影響は、計り知れないものがある。
一体、どんな点に悪影響があったのか、というと、琉球古武術の型が「異常なまでに」変形してしまった、ということだ。
というのは、この「空手と琉球古武術は車の両輪」という格言に合わせる形で、一定の実技が生み出されてしまったからである。
つまり、現代空手の「基本技(受け技)」に相当する、琉球古武術の「基本技(受け技)」が作られた、ということだ。
代表的な例で言うと、現代空手の「上段揚げ受け」に相当する、棒術の「上段受け」や、サイ術の「上段受け」が作られたのである。
そして、これらの「基本技(受け技)」が琉球古武術の型に逆輸入された結果、凄まじいまでの型の変形が発生したわけだ。
そのために、棒術の型も、サイ術の型も、もう復元不可能なレベルにまで変形してしまったのである。
もっとも、幸いなことに、棒術に関しては、上記とは別系統の流れの中に、変形が比較的少ない型が残っていたために、私は、琉球独自の古伝棒術については復元に成功している。
つまり、琉球独自の古伝棒術に関しては、「初伝・中伝・奥伝」の三段階を有する武術体系として、「真の分解」も含めてしっかりと再現出来ているということだ。
この琉球独自の古伝棒術については、いずれ機会があれば公開しようかと考えている。
しかし、残念なことに、サイ術に関しては、現在のところ全くのお手上げ状態なのだ。
あくまで現時点までに調べた範囲ではあるが、調査した全ての型で変形が激し過ぎて、とてもオリジナルの型に戻せる状態ではなかったからだ。
妄想、即ち、自分勝手な思い込みで分解を作り上げても良いのなら、どれほど型が変形していようが、何らかの分解は作れるであろうが、私は「本物」にしか興味が無い。
そして、「本物」の分解(即ち「真の分解」)というのは、型自体がオリジナルに復元出来ない以上は、発見は不可能になってしまうのである。
では、現行一般に流布しているサイ術の型の、どこがどうおかしいのか、以下に見て行くことにしよう。
順手持ちが主
まず、以下の解説を効率良く行うために、サイという武器の各部の名称から述べておく。
読者もご存知の通り、サイというのは鉄製の約50cmほどの基本的に棒状の武器であるが、十手の鉤に相当するような「翼」という部位が左右対称に付いている。
そして、この「翼」の手前の約10cm余りの部位が、刀と同様に「柄」と呼ばれる部位であり、その端が「柄頭」になるのである。
また、「翼」を挟んで「柄」とは反対の約40cmほどの部位は「物打ち」と呼ばれ、その先端(つまり、「柄頭」とは正反対の部位)は「先」と呼ばれている。
さて、名称の解説が一通り終了した所で、現行のサイ術の型のどこがどうおかしいのか、結論から述べると、サイの持ち方で「逆手持ち」が主流になってしまっている点がおかしいのである。
「逆手持ち」とは、「柄頭」を先頭にし、「物打ち」の「先」を肘辺りにして構える持ち方のことを言う。
先に述べたサイ術の「上段受け」にしても、サイを「逆手持ち」に掴んだまま現代空手の「上段揚げ受け」と同じ動作を行っているわけだ。
この点こそが、決定的におかしいのである。
その理由を探るため、まず最初に、サイという武器そのものを、先入観を廃して素朴に考察してみることにしよう。サイは個性的な形状をしている武器なので、その基本的な使用法というのも、その特殊な形状から、一定の推測が出来るものである。
まず、サイの基本的な形状は、50cmほどの短棒と言える。従って、その短棒としての形状を生かして、「打つ」「突く」「払う」等の攻防技を行うであろうことは、容易に想像がつく。
しかし、サイの特殊な形状は、そこに止まるものではない。サイには、さらに「翼」が付いているわけだ。
この「翼」は、その形状・大きさから判断して、「棒(六尺棒)」を「挟む」ことで「無力化」するための装置、であることが分かる。
つまり、サイ術の仮想敵は棒術、という事になるわけだ。
しかも、サイ術の戦い方は「B方式」ということも、これで分かるのである(「B方式」「G方式」の戦い方については、「増補(1)」を参照願いたい)。
では、実際に、棒(六尺棒)を持った敵が前方で我に対峙しているとして、この敵に対してサイを手にして戦う、と仮定しよう。
オーソドックスな戦い方としては、例えば、次のようになるはずである。
まず、我は棒より短いサイを使うのであるから、遠間から双方が近づいていくと、敵の攻撃間合いの方が先に訪れるわけで、我は、敵の攻撃を受けてから反撃を開始することになる。
では、敵が我に向かって棒を打ち込んで来たとして、我はサイをどのように持って棒を受けるべきであろうか?
サイという武器の特殊な形状を考えれば、答えは自ずと決定されよう。
つまり、サイを「順手持ち(逆手持ちの反対で、「先」が敵の方を向くように「柄」を握る持ち方)」にして、「物打ち」のところで棒を受け、その直後に、「翼」の中に棒を招き入れて棒を押さえ込む。このような棒の受け方こそが、もっとも標準的なサイの使い方になるはずだ。
要するに、私がここで言いたいことは、「翼」の開いている方に向かって敵の棒が入って来るようにサイを構えなければ、棒に対して効果的にサイを使うことは出来ない、ということなのだ。
さらに、今度は反撃の突き技を行う場合を考えてみても、サイという武器は、「物打ち」の「先」の部位こそが突き技に適したように鋭くなっているのであり、「柄頭」の方は、それほど鋭くはなく、そもそも突き技を行う部位として作られてはいないことが分かるのである。
以上の諸点から結論を言えば、「サイは、その構造上、順手持ちが主」となるわけだ。
一般に武器は順手持ちが有利
上記の「順手持ち」については、より一般的な観点から言っても、およそ武器という物は「順手持ち」が有利、即ち、基本とも言えるのである。
その理由を述べよう。
武器術は通常「G方式」で戦うわけだが、サイのような「B方式」で戦う武器術であっても、敵が「G方式」の棒術家で、その敵が遠間から近づいてくる場合には、敵の武器(棒)と最初に接触する場面あたりだけは、実質的に「G方式」のような戦い方になるわけだ。
さて、ここで、「増補(2)」で述べたことを思い出して貰いたい。“「G方式」の武術の世界では、操作性に問題が生じない限り、一般に、長い武器の方が有利”なのであった。
となれば、同じ武器の場合であれば、「順手持ち」の方が、「逆手持ち」よりも、その武器を「長く」使うことが出来ることから、結局の所、「順手持ち」の方が有利、ということになるわけである。
実際に、同じ武器を使って「順手持ち」と「逆手持ち」を比較してみれば容易に分かることだが、「逆手持ち」というのは、攻防共にやり難いのである。
例えばナイフのような小型の武器程度ならば、密かに隠し持つ場合などで「逆手持ち」を採用することもあり得るであろうが、サイのような大きさの武器になると、「逆手持ち」にするメリットがほとんど無くなるのである。
結局の所、サイ術の型で「逆手持ち」が主流になってしまった現状は、あきらかに「おかしい」と言えよう。
(現行のサイ術の型がおかしい理由は、まだ他にもあるのであり、例えば、対棒術の武術でありながら、両手にサイをそれぞれ「逆手持ち」にした状態で、敵の棒による攻撃を左腕の上段受けで防ぎ、その直後、両足はそのまま定置で、右腕でサイの「柄頭」を使っての逆突きを行うなどという、間合的に敵の体に突きが届かないヘンテコリンな技などが登場してしまう点などを指摘することも出来る。
ただ、「逆手持ち」が基本的におかしいことが分かりさえすれば、それだけで、現行のサイ術の型が異常に変形してしまっていることは十分に理解出来るはずなので、サイ術の型については、この程度の指摘に止めようと思う。)
* 上記では、現在の主なサイの持ち方を「逆手持ち」と呼んだが、正確に言うと、現在一般的に見られるサイの持ち方は、「逆手持ちモドキ」とも言うべき持ち方なのである。
本来の「逆手持ち」ならば、我の五指で、サイの「柄」を掴むべきなのだが、現在では「翼」の所を掴んでおり、「柄」には単に人差し指を添えているだけなのである。この持ち方では、「翼」は、その本来の機能を完全に失ってしまっている、と言えよう。
では、何故、このような「逆手持ちモドキ」が主流になってしまったのか、と言うと、その持ち方から素早く「順手持ち」に持ち替えたり、あるいは、その逆の持ち替えをしたりと、サイを見てくれ良くクルクル回転させたいために、そういう「逆手持ちモドキ」を採用しているわけだ。
こうなると、もう完全に見てくれ重視のパフォーマンスに他ならず、とてもではないが、武術の型とは評価出来ないのである。
(さらに述べておくと、上記の「逆手持ちモドキ」の影響で、現在の「順手持ち」もまた、「順手持ちモドキ」に変形してしまっている点にも、大いなる注意が必要なのである。
つまり、上記のクルクルと行う「逆手持ち」と「順手持ち」の相互持ち替えを行っている最中に発生する「順手持ち」は、本来の武術的に正しい「順手持ち」ではなく、やはり「順手持ちモドキ」になってしまっている、ということなのだ。
ここではこれ以上の詳細は省くが、この事は、一箇所狂うと、関連する諸項目でも変形・異常が発生する好例と言えよう。)
武術空手研究帳・増補(5) - 完 (記:平成二十七年十二月)