武術空手研究帳

武術空手研究帳・増補(11)- 「体と用」

 [ 今回は、「体(たい)」と「用(よう)」という重要な概念を取り上げて解説したい。

 この「体」と「用」を区別することは、何も古伝空手や近代空手の専売特許ではなく、広く日本武術の世界で古来より行われて来たことなのだ。

 しかし、特に現代空手家は、現代空手の体系に潜む欠陥のせいもあって、「体」を「用」と勘違いしやすいという致命的な問題を抱えてしまっているので、その点も十分に踏まえて説明していこう。]

糸洲十訓

 糸洲安恒が執筆したいわゆる「糸洲十訓」の第七項には、次の記述がある。

 “唐手表芸は、是れは体を養ふに適当するか、又、用を養ふに適当するかを予て確定して練習すべき事”

 この内、「唐手」というのは、「とうで」ではなく「からて」と読み、私の言う「近代空手」のことを意味する。(この「とうで」と「からて」の関係等については、拙著「武術の平安」の「コラム-8:唐手について」で詳しく解説してあるので、興味のある方はそちらを参照願いたい。)

 次に、「表芸」とは、今日で言うところの「型」(正確に言えば「練武型」)の意味である。(古伝空手の時代には、現在の「型」に相当する言葉が基本的に存在しておらず、そのために、糸洲安恒も、このように「表芸」という言葉で「型」を表現したわけである。)

 そして、「体(たい)を養ふ」とは、「体(からだ)を作る」というような意味であり、結局のところ「鍛錬」を表す。

 また、「用(よう)を養ふ」とは、「用法を身に付ける」つまり「分解を習得する」というような意味である。

 以上を踏まえて、上記の第七項を現代語に翻訳すれば、概ね次のようになる。

 “近代空手の型は、これは「体」即ち「鍛錬」のためのものか、また、「用」即ち「用法」のためのものかを、予め確定した上で練習すべきである”

 つまり、糸洲は、型には、鍛錬のための「体の型」と、用法を学ぶ「用の型」の、二種類があり、両者はしっかりと区別した上で練習しなければならない、と言っているわけだ。

体と用の見分け方

 では、一体どうやって、「体の型」と「用の型」を見分ければ良いのであろうか?

 平安(初段~五段)やナイファンチ(初段~三段)のような、いわゆる「段のもの」のシリーズ型の場合には、それらを見極める最も簡単な方法は、その各段の中で、最も動作が単純で挙動数が少ない型、即ち、最もシンプルな型が「体の型」である、と考えておけば間違いない。

 何故なら、「用の型」というのは「用法」即ち「技」を示しているわけだ。

 そして、「技」というのは「掛ける相手がいてこその技」なのだ。つまり、自分一人で行うものではなく、別のもう一人の人間と関わり合いながら行うものなのであるから、当然のことながら、動作が複雑になるのである(以上のことは、打突技よりも、取手技の場合に、より一層顕著に当てはまる)。

 さらに、「技」というものは、一つの武術あたり、決して数個ではなく、最低でも数十くらいの数にはなるわけだから、全体の挙動数もそれなりの数になるわけである。

 これに対し、「鍛錬」のための「体の型」というのは、他の人間と関わり合う動作ではなく、本質的に自分一人で行う動作で構成されている以上、「用の型」と比べて、動作がより一層単純になるのだ。

 また、鍛錬用に選ばれた動作というのは、数多くの「技」の動作に共通する要素に基づいて制定されるものである以上、鍛錬用に選ばれた動作の「数」については、必然的に「技」全体の総数よりもはるかに少なくなるわけで、結局、「体の型」の挙動数は、個々の「用の型」の挙動数よりも少なくなるのである。

 こうした観点から、近代空手の平安やナイファンチの各段の型を比較すれば、まず、「体の型」は、「ナイファンチ初段」と「平安二段(松涛館流では平安初段)」がそれと分かる。

 そして、残りの型が全て「用の型」になるわけで、結局、ナイファンチ二段・三段と、平安の初段及び三段~五段が、「用の型」なのである。

(但し、上記の視点は、いわゆる「段のもの」と呼ばれるシリーズ型に関しての見方であって、近代空手の型には、他にいわゆる「小の型」というのがある。

 この「小の型」というのは、動作も複雑で、挙動数も多い。よって、上記の視点からすれば「用の型」と誤解しやすいが、そもそもこの「小の型」というのは、古伝系の「大の型」の動作を変えることで創作された型であることに気付く必要がある。

 そして、ここが重要なポイントなのだが、「動作を変えれば分解にも大きな影響が生じる」わけだ。しかるに、動作のみを変えただけで、その他は一切いじっていないのであるから、結局のところ、この「小の型」というのは、分解は完全に無視して創られた型であることが分かる。

 ということは、「小の型」というのは、決して「用の型」であるはずがなく、結局、「体の型」という事になるわけである。)

 * 現代空手の松涛館流では「小の型」の動作は「大の型」のそれとは大分異なっているが、その理由については「増補(7)」の注を参照願いたい。

練武型

 ところで、武術においては、「用」の稽古は絶対に必要である。

 以前にも述べたとおり、武術とは、平たく言えば「制敵技術」なのであるから、敵を制する技術である「技」を指導する「用」の稽古が存在しなければ、およそ武術とは言えないからだ。

 では、近代空手において、「体の型」の存在意義とは一体何なのであろうか?

 ここでこの疑問に答える前に、まずは、「体」と「用」という概念について、一つ考察を加えておきたい。

 最初に理解してもらいたいのは、「体」や「用」という概念は、それらを大枠で単純に捉えるだけではなく、細かく要素的な観点からも捉えることが重要、という点だ。

 どういう事かと言うと、“この型は「体の型」、そして、その型は「用の型」”などというように、大枠で単純に型を区別すればそれで終了、というわけではない、ということだ。

 具体例を挙げよう。

 武術の平安シリーズの内、「体の型」は「平安二段」であり、他の四つの型は「用の型」なのだが、ここで、「増補(1)の第4回」で述べた次の文章を思い出してもらいたい。

 “ここでちょっと余談だが、平安には四つの「用の型」があるが、それらが真に「用」の意味を持つのは、勝負形の稽古の段階になってからなのである。それら四つの「用の型」でも、練武型を稽古する段階では、敵を仮想せずに動作の鍛錬を行っているのだから、「用の型」というよりも、むしろ実質的には「体の型」と認識すべきなのだ。”

 このように、いわゆる「用の型」であっても、敵をリアルに仮想して動作もリアルに行う「勝負形」ではなく、敵は仮想せずに動作の鍛錬を行っている段階の「練武型」であれば、実質的には「体の型」と言える、ということだ。

 さて、本稿冒頭の「糸洲十訓」の第七項にある「表芸」とは、すでに括弧書きで示したとおり、正確には「練武型」を意味するわけである。「練武型」は当時(あくまで「体育の平安」ではあったが)大衆に公開していたわけで、その意味で「表」の芸なのである。

 これに対し、「真の分解」どおりに稽古する「勝負形」は未公開であり、その意味で「裏」の芸と言えるわけだ。

 従って、「糸洲十訓」の第七項で糸洲が述べていたのは、「武術の平安」で言えば、“平安二段は「体の型」であり、残り四つの「練武型」は「用の型」だ“と言っているわけで、あくまで、「練武型」のみを対象とした、大枠での単純な「体」と「用」の分類に過ぎないのである。

 だが、理解が深まってくれば、上述の如くに、「体」と「用」という概念も、細かく要素的な観点からも捉える必要が出てくる。

 すると、どうなるのか。

 まず、「武術の平安」の内、「平安二段」を除く四つの型については、それらの「勝負形」は「用の形」である。しかし、それらの四つの「用の形」にもまた、鍛練的な要素は少しではあるが入っていることになる。

 何故なら、およそ体を動かす動作であれば、そこには何らかの鍛練的な要素は存在するからだ。

 しかし、このレベルの鍛練的要素は、「体」と「用」の議論からは除外するのが通常である。あまりにも細かすぎて、かえって大筋を見失ってしまうおそれがあるからだ。

 次に、それら四つの「練武型」については、「真の分解」を有しており、「裏」に「勝負形」が存在するという意味では、確かに「用の型」に分類されるわけだ。というのは、「平安二段」のように、「真の分解」が存在せず、あくまで「練武型」としてのみ存在している型とは、明らかに異なるからだ。

 ただ、先述のように、それら四つの「用の型」も、「練武型」それ自体としては、あくまで動作の鍛錬を行っているわけだから、実質的には「体の型」と認識しておくべき必要があるわけだ。

純粋な「体の型」

 さて、大分回り道を余儀なくされたが、前項で述べたかったことは、「武術の平安」の四つの「用の型」にしても、「練武型」である限りは、実質的には「体の型」である、という点だ。

 つまり、例えば「平安初段」を稽古する場合を考えてみると、「勝負形」では、敵をリアルに仮想して稽古するわけで、我の動作もリアルに技そのものの動作になるのだが、「練武型」では、敵は仮想せず、規格に沿った画一的な動作を繰り返すのみなのである。

 そうすることで、「練武型」では、各種の「技」の土台となる動作を磨いていくわけだ。

 この点で、以前「増補(1)の第4回」で、中国拳法について次のように述べたことを思い出してもらいたい。

 “武器術ですら、「組形」以前に、例えば「素振り」等の鍛錬は行うのであって、入門していきなり「組形」の稽古ということはないのだが、体術の場合は、「組形」以前の基礎鍛錬は、武器術の場合以上に重要になる。これは、素手の手足には、武器ほどの潜在的威力が無いからであり、「体の型」等を繰り返し稽古することで、十分な威力を蓄える必要があるからだ。”

 このことは、打突技のみならず取手技をも含む近代空手(や古伝空手)にも、同様に当てはまることなのである。

 要するに、剣術のような武器術であっても、素振りのような「体」の稽古は行うのだが、体術にあっては、武器のような潜在的威力が人間の手足には無いために、「体の型」で十分に威力を養う必要があるわけだ。

 さて、以上のことが理解されれば、当然、次のような疑問が湧くはずだ。

 「武術の平安」の四つの「用の型」の「練武型」それ自体が、既に「技」の威力を養う「体の型」の役割を担っているわけだ。では、それだけで十分ではないか?何故、それらに加えて、さらに「平安二段」という純粋な「体の型」を創らねばならなかったのだろうか?

 いままでの理論的展開を真面目になぞって来た読者ならば、答えは自ずと分かると思う。

 四つの「用の型」の「練武型」以外に、あえて「平安二段」という純粋な「体の型」を創ったのは、それら四つの「用の型」の「練武型」では未だ鍛錬が足りないからなのだ。

 では、一体何が足りないのか?

 これを知るためには、近代空手が生まれる母体となった古伝空手を良く理解する必要がある。

 古伝空手の純粋な「体の型」を見てみると、那覇手の「サンチン」は、ほとんど「当破」の鍛錬のための型であったし、首里手及び泊手の「ナイファンチ」は、身体を総合的に鍛錬する目的の型ではあったが、やはり主な鍛錬項目は「当破」の養成であった。

 「当破」とは、個々の画一的な動作を繰り返すことで得られる「技」の威力とは別に、全ての「技」にさらなる威力を与える「技」とは別の技術なのであった。

 そして、それを磨くために、古伝空手の時代には純粋な「体の型」が創られたのである。

 そうであれば、近代空手における純粋な「体の型」の存在意義も、基本的に同じでなければならないわけで、結局のところ、近代空手の代表的な「体の型」である「武術の平安」の「平安二段」という型もまた、根本的かつ全般的な「威力の増加」のために創られた型なのである。

 つまり、「平安二段」は、直接には「運足」を鍛錬する型として創られているのだが、結局は、それを通して「倒木法(倒地法)」の威力を増大させるための型になっているわけだ。

 * 近代空手の「体の型」には、他に「ナイファンチ初段」と「小の型」がある。

 この内、「ナイファンチ初段」という型は、近代空手の技の威力を根本的かつ全般的に増大させる、という目的は基本的に持っていない型なのであり、従って、近代空手を修行する者にとって学ぶ意義の無い型なのである。別言すれば、「用の型」ではないから「体の型」として扱うより他に仕方が無い、というような型なのだ。

 では、この型が、一体何のために創られたか等については、拙著「武術の平安」に詳しいので、そちらを参照願いたい。

 次に、「小の型」であるが、これらは近代空手にとっての必須の「体の型」ではない。つまり、「平安二段」をしっかり稽古しておけば、近代空手の根本的かつ全般的な威力増強には十分なのである。

 ただ、「平安二段」はかなり単調な型なので、近代空手修行の「奥伝」くらいになったら、これら「小の型」も「体の型」として稽古しても構わない、というのが糸洲安恒のスタンスだったのだ。なお、この点についても、拙著「武術の平安」に詳述してあるので、そちらを参照願いたい。

 ** ここで「平安二段」について少し補足しておくが、「武術の平安」の「平安二段」という型は、読者が知っている「現代空手」の「平安二段」(即ち「体育の平安」の「平安二段」)とは、その動作の速さや運足のダイナミックさ(及び、技術の細かさ)において、全く別物と言っても過言ではない型なのである。

 そもそも、武術的な観点から言えば、「体育の平安」の「平安二段」などは、何回繰り返し稽古しても、ほとんど何の鍛錬にもならない型なのだ。

 従って、読者にあっては、自分の知っている「体育の平安」の「平安二段」をもって、「武術の平安」の「平安二段」を安易に推測しないでもらいたいと思う。

 運足一つとっても、「体育の平安」の「平安二段」は「子供用の運足」である「(体育的)静歩行」であるのに対し、「武術の平安」の「平安二段」は極めてダイナミックな「動歩行」なのであって、型全体のスピード感だけでも根本的に違うからだ。

「体」を「用」としてしまう「理由」

 以上のように、空手の型には「体の型」と「用の型」の二種があり、両者はしっかりと区別しなければならないのだが、誠に困ったことに、この区別を完全に無視して、全ての型を「用の型」として扱い、従って、「体の型」についても「分解」を見出そうとする人々が後を絶たないのである。

 そうした事が「何故」起きるのか、また、そうした事が如何なる「弊害」をもたらすのか、それぞれにつき、平安シリーズを例に取り、以下に見ていくことにしよう。

 まずは、“何故、「体の型」を「用の型」として扱い、それらの「分解」を発見しようとしてしまうのか”についてである。

 もちろん、理由としては、細かい点も挙げれば色々あろうが、重要なポイントとなる点を指摘するならば、次の二点であろう。

 1)最もシンプルな型ならば、最も簡単に「分解」が発見出来るだろう、と安直に考えて、その結果、まず最初に、最もシンプルな「体の型」の「分解」を考え出そうとしてしまう、という点だ。

 要するに、例えば「平安四段」や「平安五段」のような複雑な型にいきなり挑んでも、「分解」を発見する自信がないために、「易から難へ」の発想で、まずは最も簡単そうな型から分解の発見にチャレンジする、ということなのだ。

 こうして、最もシンプルな「平安二段」という「体の型」の「分解」を考え出そうとしてしまうのである。

(因みにだが、私が古伝空手の解明の後に「武術の平安」の分解に挑んだときには、以上とは真逆の発想に基づき、まず最初に「平安五段」と「平安四段」の分解を解明し、その後に「平安三段」と「平安初段」の分解の解明に挑んだのであり、これら「用の型」を一通り解明した後に、最後に「体の型」である「平安二段」の詳細の解明に挑んだのである。

 つまり、「易から難へ」という発想は、一定の条件下では間違いではないのだが、このケースの場合には、完全な誤りなのであり、決して行ってはならない事なのだ。

 この事は、それなりの論理能力さえあれば簡単に理解出来ることなのであり、その程度の能力も無ければ、古伝空手や近代空手の解明・復元など逆立ちしても不可能なのであるが、以上の詳細については、拙著「武術の平安」の「コラム-7:武術空手研究について」を参照願いたい。)

 2)次に指摘出来るのは、現代空手の体系中に潜む「体」を「用」と勘違いしてしまう発想が、「体の型」の分解を考えてしまう根深い原因になっている、という点だ。

 読者の多くは現代空手の経験があると思うが、現代空手の体系の内、「その場基本」などは、「基本技」の稽古と認識しているはずだ。

 つまり、「その場突き」などは、基本「技」としての「正拳突き」の稽古と思われているわけである。

 しかし、“「技」とは、「関係行為」に他ならない”のである。

 この言葉では分かり難いのなら、本稿で、先ほど述べた言葉を思い出してもらいたい。

“「技」というのは「掛ける相手がいてこその技」なのだ。つまり、自分一人で行うものではなく、別のもう一人の人間と関わり合いながら行うもの”という言葉である。

 具体的に言えば、柔道の「技」には、例えば「背負い投げ」があるが、これは、戦う相手となる人間を背中に背負って投げる「技」なのである。つまり、その相手となる人間に対して掛けているわけだ。

 また、剣道の「面打ち」であれば、正面にいる相手の面に向かって打ち込みを行っているのであり、仮に、相手が(現実には存在せず)仮想の相手であっても、それに対して「面打ち」を行えば、やはりそれは「技」としての「面打ち」になるのである。

 これに対して、相手を仮想せずに、竹刀や木刀を「素振り」しているのは、「技」即ち「用」の稽古ではなく、「鍛錬」即ち「体」の稽古になるわけだ。

 さて、もうお分かりとは思うが、現代空手の「その場突き」では、相手となる人間などは全く仮想されていないのであるから、これは上記の「素振り」と同様な「体」の稽古なのであって、決して「技」即ち「用」の稽古ではないのである。

 しかるに、現代空手の世界では、こうした稽古を、基本「技」の稽古、即ち「用」の稽古と認識してしまっている。

 まさに、ここにこそ、現代空手において、「体」を「用」と勘違いしてしまう発想の根源があるのだ。

 こうした発想が根底にあるからこそ、「体の型」ですら「用の型」に見えてしまうのである。

(ここで、ついでながら述べておくと、現代空手の「その場基本」の蹴り技の内、最も基本的な蹴り技は「中段前蹴り」と言われている。

 しかし、実際に自由組手を行うと、その最も基本であるべき「中段前蹴り」がほとんど全く使えずに、代わって「回し蹴り」が蹴り技の主役になってしまう、という現実がある。

 何故そうなるのか、と言うと、「その場基本」というのは決して基本「技」ではないからなのだ。

 つまり、「その場基本」の稽古で「中段前蹴り」を行うとき、決して、自分の正面に具体的な相手の姿を仮想したりはしない。あくまで「空間の一点」を目指して蹴っているだけなのである。要するに、上記の「素振り」と本質的に同様の「体」の稽古をしているにすぎないのだ。

 しかし、自由組手となると、現実に正面に具体的な相手が現れる。

 そして、その相手は、通常「半身」で構えるために、「中段前蹴り」で蹴ることが出来る場所がほとんど見当たらないことになる。

 そうなると、方策は限られてくるわけで、一つは「運足」を使って回り込んで相手のヘソの真正面から「中段前蹴り」を放つか、あるいは、そのまま目の前の半身の相手に「回し蹴り」を行うか、の概ねいずれかになる。

 そして、蹴り技と合わせて使えるような高度で技術的な「運足」を稽古しているような現代空手の流派は極めて稀なため、結局のところ、ほとんどの流派では「回し蹴り」で蹴ることになるわけだ。

 以上を要するに、「中段前蹴り」というのは、確かに「動作」的に見れば、多くの「蹴り技」に共通する脚の動作なのであり、その意味で、最も基本の(「技」ではなく)「動作」ではあるのだが、「技」としては、即ち、実際に正面に具体的な相手が存在する場面では、ほとんどまともに使える「技」ではない、という事なのだ。)

 * 上記本文中に「中段前蹴り」が登場したので一言しておくが、「現代空手」とは異なり、「近代空手」においては、「中段前蹴り」も立派な「技」である、ということだ。

 もちろん、「武術の平安」を中核とする「近代空手」においても、「練武型」の稽古における「中段前蹴り」は、敵を仮想していないために、やはり「素振り」と同様の「体」の稽古なのであるが、敵を仮想して行う「勝負形」における「中段前蹴り」では、敵の体は「半身」ではなく、ちゃんと蹴り技が叩き込めるように設計されているために、「中段前蹴り」も立派な「技」として成立している、ということなのである。

 以上の詳細は、拙著「武術の平安」に具体的に解説されていることなので、興味のある方は是非そちらを参照願いたい。

「体」を「用」とした結果の「弊害」

 今度は、“「体の型」を「用の型」として扱い、それらの「分解」を考え出す事によって生じる「弊害」について”である。

 これにも、基本的に二種の弊害がある。

 1)本来は「分解」の存在しない「体の型」なのに、そこから強引に「分解」を見出そうとすることから、発見される「分解」それ自体もお粗末なものになってしまうだけでなく、何よりも本来の「用の型」の「分解」に多大の悪影響を与えてしまう、と言う点だ。

 まず、最初に確認しておきたいのだが、平安の四つの「用の型」の中には、(三歩進みながら右左右のように行う)三回連続の動作というのがたびたび登場するのだが、それらの「真の分解」を見ると、全てのケースで三回の動作の一回ごとにそれぞれ異なる分解が存在するのだ。つまり、そういう場面の「真の分解」は、三つの異なる技が連続して展開しているわけである。

(この事については、拙著「武術の平安」に記載してある平安各段の「真の分解(勝負形)」の解説を読めば、誰でも具体的に理解出来ることである。)

 さて、「平安二段」の中にも、「追い足」での「上段揚げ受け」三回や「順突き」三回という、上記と同様の三回連続の動作が登場するのだが、これら「三回連続の動作」は、やはりそもそもが「体の型」であるために、三回連続の全体で捉えた場合、どうやってもまともな「分解」は発見出来ない。

 そこで、この部分の分解を考え出そうとする人達は、一体どういう事をするのであろうか?

 ある人は、上記の「三回連続の動作」につき、これらを一回の動作の単純な三回の繰り返しと捉え、その一回の単一挙動につき何らかの「技」らしきものを考え出すのである。

 そして今度は、単一の挙動だけで「分解」が成立するのが当たり前、という発想を引っ下げて、他の四つの本来の「用の型」の分解解明に挑む結果、一つあるいは数個という非常に短い挙動ごとに「分解」を考えることが当然となってしまう、という悪影響が生じるわけだ。

 しかし、本サイト中の拙著「武術の平安」の紹介ページでも述べたとおり、「真の分解」というのは、本来想像以上に長いのであって、数挙動以下の「分解」などは(極一部の例外を除いては)存在しないのである

 また、別の人の場合には、上記の「三回連続の動作」のところを、実質的に「一回」と解釈してしまうのである。何故なら、同じような分解を三回も連続させるのは不自然だからだ。

 そして、そのことを正当化するために、「三歩は一歩」のような口伝とやらを、どこからかは知らないが、どっかから持ってくるわけだ。

 しかし、そのような「型の分解を発見するための具体的な口伝」などは、古伝空手の時代よりそもそも存在していないのである。

 そのような口伝とやらを持ってきて、後はその口伝を利用して他の四つの「用の型」の分解をも導こうとするのだから、分解全体がおかしくなってしまうのも当然の事なのだ。

(「型の分解を発見するための具体的な口伝」などは、そもそも存在しない、という事については、拙著「武術の平安」のP.271~272で非常に詳しく解説してあるので、そちらを参照願いたい。)

 2)もう一つの弊害は、「体の型」を「用の型」として扱ってしまうために、その「体の型」の本来の目的、即ち、「鍛錬」の内容が全く分からなくなる、と言う点だ。

 この点については、多くの説明を要しないであろう。

 「平安二段」は本来「鍛錬」のための純粋な「体の型」として創作されたのだが、それを「用の型」と誤解している以上、「平安二段」で糸洲安恒が鍛錬させようとしていた内容などは、全く分からなくなってしまうわけだ。

 例えば、松涛館流(では平安初段になるが、本来は平安二段)に残る上記の追い足三歩の場面では、一歩目と二歩・三歩目では運足に違いがあるのだが、何故糸洲はそうした違いを設けたのか、などは、「平安二段」を正しく「体の型」と捉えて真剣に追求しなければ絶対に正解は見出せないほどの難問なのであり、かつまた、この事は、近代空手の技の威力向上のための極めて重要な技術と関係してくるのだが、はっきり言って、空手近代化以降、この問題を正しく解いたのは、私以外には誰もいないのである。

 それどころか、この「運足の違い」という論点自体が、問題視されることすらほとんど無いのであって、稀に取り上げられても、まずは「三歩全て同様に運足すべき」というような(糸洲の工夫を真っ向から否定するような)答えになるのが通例なのである。

 これ程までに、「平安二段」を「体の型」として正確に解明することは、想像以上の難事なのであるが、いままでは、この「平安二段」の「分解」をせっせと考えていたのだから、まったくもってお話しにならないレベルであったわけだ。

 やはり、糸洲安恒が述べたように、“唐手表芸は、是れは体を養ふに適当するか、又、用を養ふに適当するかを予て確定して練習すべき事”なのである。

武術空手研究帳・増補(11) - 完 (記:平成二十八年三月)

(=> 増補(12)「三つの空手の正拳突きの威力」へ進む)

*** プロフィール ***

プロフィール

プロフィール画像

 長谷川光政

 昭和33年(1958年)、東京生まれ。

 中学生(12歳)の時に剛柔流の空手を習ったのが、空手との最初の出会い。

 それ以来、首里手系の空手や、フルコン系、防具系の各流派等でも空手を学ぶ。

 しかし、いくら修行をしても、どうしても既存の空手に納得がいかず、最終的には自分一人での研究・修行を続けることとなった。

 それから十五年以上が経過した四十歳台後半に至って、遂に、失伝していた古伝空手の核心的技術である「当破(アティファ)」を発見することに成功。

 それ以降は、その発見をきっかけに、古伝空手の型に関する様々な謎も解明出来るようになった。

 また同時に、糸洲安恒の創始した近代空手の代表型である平安(やナイファンチ初段~三段)についても、その謎を解き明かすことに成功した。

 現在では、琉球の古伝棒術等の研究も一通り終了しており、新たな発見等については、漸次、この「武術空手研究帳」の「増補」等を通じて公開発表していく予定である。

 東京大学教育学部体育学健康教育学科卒。