武術空手研究帳・増補(8)- 「武士は左側通行」
[ 増補(1)の第6回目で、江戸時代は、武士は「左側通行(対面ですれ違う相手を右側に見る通行の仕方)」であった旨記した。
しかし、ネット上を飛び交う意見を見ると、それとは逆に「右側通行説」の方が有力のようだ。
この「右側通行説」を唱える人々には、現代武道家の抱える問題点が濃厚に見て取れるので、今回、特に取り上げて論評してみたい。]
証拠
まずは、二つほど「証拠」を記しておこう。
一つは、徳川綱吉(五代将軍)の治世下の1690~92年に日本に滞在したエンゲルベルト・ケンペル(ドイツ人)の遺稿を元に出版された「日本誌」によれば、当時の日本の道路では「左側通行の規則が徹底されていた」とのことである。
いま一つは、幕末の新撰組で有名な「天然理心流剣術」の組形の中に、他の武士と「左側通行」ですれ違った直後に、その武士が振り向き様に刀を抜いて斬り掛かろうとしてくるのに対抗する技が残っている。これもまた、当時、武士は「左側通行」であった証拠の一つと言えよう。
以上が「左側通行説」の二つの証拠なのであるが、以下では、武術的な観点から、「左側通行説」の正しさ、従って、「右側通行説」の間違いについて論じてみたい。
現代武道家ならではの発想
さて、増補(1)の第6回目で、薩摩の中村半次郎(後の桐野利秋)の暗殺術に関して記述した内容をここに再録してみよう。
“まず、当時は、武士は左側通行であった(右側通行だと、鞘同士が当たりやすくなり、もしそうなったら、武士の面目を掛けての斬り合いになり兼ねず、それを避けるために左側通行になった)。よって、ターゲットは半次郎の右側を通過したことになるが、・・・”
このように、増補(1)の第6回目では、紙幅の関係で、武士の左側通行の根拠を、端的に「鞘当の回避」としたわけだが、では、「右側通行」を主張する人達は、一体何を根拠に武士は「右側通行」だったと主張しているのであろうか?
人によれば、道路の左側を通ると、軒の柱に鞘がぶつかる可能性があるので、それを避けるために右側を通行した、との主張もある。
しかし、この意見は、道路(軒)と武士との関係を述べているのであって、私が問題にしている、「対面ですれ違う武士同士は、いずれの側を通過すべきか?」という問いに対する答えにはなっていない。
あくまで、左側の軒に近づきすぎるとマズイ、と言っているに過ぎないわけであり、よって例えば、広い道路ならば、左側の軒から少し離れて道路の左側を通過する、のでも構わないわけだし、また、軒が存在しない道ならば、そもそも左側を通っても何ら問題にならないわけである。
さて、「右側通行」を主張する人達に多く共通しているのは、“左側を歩いていると、相手から「抜刀技で切り掛かられやすい」から、右側を歩くべし”という意見なのである。
そして、これら「右側通行説」の立場の人達は、自らの「感覚」から判断して、上記の理由は絶対に正しいと確信を持っているようだ。
しかし、そうした「感覚」それ自体が、現代武道家特有の「感覚」なのであって、江戸時代の武士の「感覚」とは大きくかけ離れてしまっていることに、まずは気付く必要がある。
ここで、増補(1)の第5回目で述べたことを思い出してもらいたい。
同内容を、ここに再掲しておこう。
“「抜刀術」というのは、明治後半から昭和初期あたりにかけて、本来の「居合術」の「単独型」の意味(分解)が失伝してしまったために、その「単独型」を、通常の剣術の間合、即ち、「一足一刀」の間合で解釈してしまった結果として生まれた似非剣術、と考えている。つまり、外見上は剣術のように見えるものの、実際は武術としての剣術などではない、ということだ。要するに、「抜刀術」というのは、一人で映画の殺陣をやっているようなものなのだ。”
結論から言うと、先に述べた「右側通行説」の人達の意見、即ち、“左側を歩いていると、相手から「抜刀技で切り掛かられやすい」から、右側を歩くべし”というのは、まさに、この似非剣術である「抜刀術」の発想に基づいた意見以外の何物でもないのである。
つまり、自分の右前方あたりから敵が近づく場合にこそ、上記の「抜刀術」の初一手である「抜刀技」が最も仕掛けやすく感じるわけである。
何故なら、まさに「抜刀術」とは、「一足一刀」の間合で戦いが開始されるのであり、基本的に、我の右足を踏み出しながら、抜いた切っ先を前方に遠く飛ばして抜刀技を行うものである以上、間合的に見てもそのくらい敵との距離があった方がちょうど良いからである。
さらに、現代武道家は、加速度運動系の動きに体や感覚が慣れてしまっているために、斬撃を浴びせる対象が、あまり近くにいると攻撃がしにくいのである。よって、敵の体までに、ある程度の距離(間合)が欲しいわけだ。
そして、敵もまた我と同じ様に感じるに違いない、と思うからこそ、左側通行だと「抜刀技で切り掛かられやすい」と感じてしまうのである。
要するに、「右側通行説」とは、現代の似非剣術である「抜刀術」で作り上げた「感覚」そのままの意見なのであり、まさに、現代武道家ならではの発想と言えよう。
左側通行
では、昔の武士・剣術家の発想ではどうなるのであろうか?
まず、本物の居合術である超近間で戦いを開始する林崎流居合術では、敵の左側、つまり、我から見て右側にすれ違うかのようにして初一手を抜刀するのが基本なのである(この場合、上述の「抜刀術」の初一手である「抜刀技」とは異なり、抜いた刀の切っ先を前方に遠く飛ばすことはせずに、敵(の首等)を斬ることになる)。
つまり、本物の居合術の発想からしたら、「右側通行」こそがまさに「戦闘行為」そのものになるわけだ。
さらに言えば、格別に林崎流居合術を習得していなくても、例えば脇差を使えば、右側通行で近くをすれ違いざまに敵を斬ることは比較的容易なのだ。(刀は、木刀とは異なり、鋭利な刃物なのであるから、豪快な斬撃以外にも、例えば、敵の首に刃を接触させてから押し切りや引き切りを行うだけで、十分に頸動脈を切断出来るのである。)
それだけではない。
現代武道家は、剣による攻防のことだけを考えるが、昔の武士・剣術家からすれば、例えば、すれ違いざまに、我の太刀を敵の手で掴まれても極めてマズイのである。
柄を掴まれて太刀を抜き取られでもしたら致命的だが、その他にも例えば、太刀の柄と鐺(こじり)を同時に掴まれた場合でも、(ちょうど、我の帯に一本の棒が差してあり、その棒の両端を掴まれたのと同様な状態になるわけだから)敵の思うようにこちらの体を崩されかねず、大変マズイ状況になるわけだ。
もうお分かりであろう。
昔の武士・剣術家にとって、往来で他の武士とすれ違うに際しての心得としては、
1)相手の武器(刀)に近づかない
2)我の武器(刀)に相手を近づけない
以上の二点が重要なポイントになるわけである。
さすれば、必然的に「左側通行」になるわけだ。
非常識な「感覚」
さて、上記の1)2)にしても、要するに、“穏便かつ平和な日常生活を送りたければ、相手の武器からはお互いに距離を取って歩きましょう”と言っているわけで、ちょっと考えれば分かるとおり、極めて常識的な結論を述べているに過ぎないのである。
しかるに、現代のネット上では、似非剣術である「抜刀術」の発想だけを根拠に「右側通行説」が正しいと主張している人達が数多くいるわけだ。
だがここで、次の二つのケースを、それぞれ頭の中でリアルにイメージしてみてほしい。
イ)我に向かって一人の武士が右前方より近づき、一足一刀の間合いのギリギリ外側で刀に手をかけるや、右足を大きくこちらに踏み込みながら抜刀し、刀の切っ先を大きくこちらに飛ばして斬り掛かってくるケース。
ロ)我に向かって一人の武士が左前方より近づき、我のほとんどすぐ左横に来たあたりで刀に手をかけるや、一瞬で抜刀し、刀の切っ先が鯉口を離れるや否や我の左頸動脈を切断しようとするケース。
上記のイ)とロ)のどちらが我にとってより危険か、よく考えてもらいたい。
イ)は「抜刀術」の初一手の「抜刀技」を仕掛けられたケースなのだが、この場合ならば、相手が刀に手をかけるのも比較的見分けやすい上に、相手が刀に手をかけたのを我が認識した後でも、まだ相手の「抜刀技」に対処するための時間的な「間」もそれなりに存在するが、ロ)のケースでは、相手が刀に手をかけるのもかなり見分けにくい上に、相手が刀に手をかけたと我が認識した次の瞬間には、もう我が斬られている可能性すらあるのだ。
結局のところ、現代の「抜刀術」を行っている人達は、ロ)に相当するような稽古をした経験がほとんどあるいは全く無いために、ロ)のケースの危険性が理解しがたいのであろう。しかし、もうお分かりの通り、ロ)(即ち「右側通行」)の方が、はるかに我にとって危険なのである。
増補(1)の第5回目でも記したが、現代の「抜刀術」の初一手である「抜刀技」というのは、例えば、既に剣を抜いて正眼に構えている敵に対してそれを行うのならば、「どうぞ私の右腕を切断して下さい」と言っているのも同然の「自滅技」なのであって、本来は、戦国時代の「乱戦」時等に使う技なのだ。
従って、「右側通行説」に立つ人達も、似非剣術由来の非常識な「感覚」などに頼るのではなく、健全な常識を持って事態を把握して欲しいと切に願う次第である。
なお、最近では、「逆袈裟」という言葉の意味などもかなり誤解されているようで、わが日本の重要な文化遺産である「武術」に関し、間違った意見が大手を振って歩く時代になってしまっている。
大いに気を付けてもらいたいと思う。
* 上記の如くに、現代の「抜刀術」の「抜刀技」は「自滅技」に他ならないのであるが、そのように述べると、「いや、抜刀術は、本来そのように戦う剣術ではない」などの反論が予想されるのである。
というのは、「抜刀術」の形解説の中には、上述のような場面、即ち、“既に剣を抜いて正眼に構えている敵”などは、まずは想定されていないからだ。
しかし、それは、現代の「抜刀術」がまさに似非剣術だからこそ、自らに都合の良い内容、即ち、必ず自分が勝つ振り付けになっている「一人殺陣」の如き形解説になっているだけのことなのであって、本物の「剣術」としての戦いであるならば、上述のような“既に剣を抜いて正眼に構えている敵”と戦う場面等は、当然に想定しておくべきケースなのである。
そもそも、「抜刀術」の形解説というのは、突っ込み所満載の内容になっている。
おかしな点を少しばかり挙げると、
◆(以前にも述べたが)武士が太刀を帯刀して正座する、ということ自体、江戸時代には普通に有り得ないことなのだ。
◆ 次に、「相手の殺気を感じたので、機先を制して抜刀し相手(のコメカミ)に斬りつける」などというのも、そうした場景を目撃した第三者にとっては「一方的に行われた斬殺」以外の何物にも見えないのであって、背中から斬っていないだけマシではあるものの、まずは「切腹」「お家断絶」は必定の「犯罪」になってしまうであろう。
◆(これも以前に述べたはずだが)例えば、後ろを振り向き様に太刀を振り上げ振り下ろせば、それで後ろの敵を斬り殺し「一丁上がり」というのでは、(これが時代劇の「殺陣」なら十分に分かるが)「剣術」としてはあまりにも単純すぎてお粗末極まり無い技術であろう。これで、人間一人が切り殺せるのならば、剣術修行などは、ただ「素振り」のみをしていれば良い、ということになってしまう。それに、こんなお粗末な技(?)で切り殺される相手というのは、一体どれ程弱いのか、まるで素手でボケーっと突っ立っている「大根」並みの無能さではないか。
もうこの辺にしておくが、とにかく現代の「抜刀術」というのは、例え多くの人々が賛同しようとも、その本質は「一人殺陣」にすぎないのであり、決して「武術」ではないのである。
このような「抜刀術」を、例えば「健康法」として行うというのなら、それはそれで結構なことであるし、そうして「抜刀術」が普及すれば、例えば刀の「拵え」に関する職人的技術なども失伝せずに済むかも知れない。
しかし、この「抜刀術」を、「武術」としての「剣術」であると主張するのならば、それは大間違いなのであって、「抜刀術」は、あくまでも「似非剣術」に変わりはないのである。
政治の決め事とは異なり、「真理」というものは「多数決」で決まるものではない。
たとえ今は私見を理解する者は少なくとも、この現代「抜刀術」というのは、いずれは「天動説」の如き運命を辿る事は必定と心得られたい。
** 事情があって流派名等は伏せるが、古伝剣術の中には、「敵の姿を我の左斜め前方に捉える」ように教えている流派もある。
こうした教えは、「右側通行説」に立つ人から見れば、自説を正当化するための格好の証拠と写るかもしれない。
しかし、こうした教えは、道場内部で剣術を稽古する際に叩き込まれる言わば「有事」の際の行動規範なのであって、本稿で問題にしている言わば「平時」の際の通行規則のことではないのである。
上記本文でも述べたように、「右側通行」というのは「戦闘行為」そのものとも言いうる通行形態なのであって、これをすれ違う相手に対して行うということは、それ自体、まさに相手を「敵」と見なし、殺気を漲らせてすれ違うことを意味するわけである。こうした通行の仕方では、「鞘当」に関しても、「当たって上等」とばかりにケンカを売っているようなものなのだ。従って、相手も当然に、十分に身構えて斬り合いすらも覚悟してのすれ違いになるわけである。
これに対し、本稿で問題にしている通行形態とは、一応の用心はしながらも、格別の問題が起きないように穏便かつ平和裡にお互いが通行出来るような規則(ルール)についての話なのだ。
だからこそ、増補(1)の第6回目で取り上げた中村半次郎も、こうした「左側通行」を前提にした「暗殺術」を工夫したわけである。つまり、穏便なすれ違いだからこそ「暗殺」たりうるのであって、敢えて「右側通行」をしながら相手を殺害せんとすれば、相手も十分に身構え斬り合いも覚悟するであろうから、そもそもからして「暗殺」にはならないわけだ。
繰り返すが、本稿で問題にしているのは、あくまで「平時」における交通規則のことなのである。この点を、間違えないでもらいたいと想う。
*** 本稿に登場した「抜刀術」や「居合術」という用語は、私独自の用語の使い方によるものである。その詳細については、増補(1)を再度参照願いたい。
武術空手研究帳・増補(8) - 完 (記:平成二十八年五月)